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目白の冬 / Mejiro in Winter

中村彝 / Nakamura Tsune

中村彝《目白の冬》

本作品は、1920年(大正9年)に洋画家・中村彝によって描かれた油彩・カンヴァスの作品です。現在、茨城県近代美術館に所蔵されており、「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展にて紹介されています。

制作背景と経緯、意図 中村彝は1887年に茨城県水戸市に生まれ、幼少期から結核を患い、生涯にわたる病との闘いの中で制作を続けました。海外留学経験はなかったものの、高価な画集や国内に蒐集された海外の作品を研究し、独学で西洋画の技法を習得した画家として知られています。 1916年(大正5年)に新宿区下落合にアトリエを構え、そこで創作活動に没頭しました。本作品が制作された1920年(大正9年)は、中村が実業家・今村繁三邸でオーギュスト・ルノワールの作品を実見し、また院展の特別展示でルノワールやロダンの作品に強い感銘を受けた時期にあたります。この頃、結核の病状が一時的に小康状態にあったとされ、アトリエの窓から見える日常の風景に目を向けました。 《目白の冬》は、中村のアトリエの裏にあった「元結い工場」の様子を描いた作品です。元結いとは髪を束ねるための細い緒であり、ここではその元結いにする紙をこより状に細く伸ばし、糊を引いて乾かす作業が描かれています。帽子をかぶって働く大人たちの傍らには子どもたちや多くの鶏が描かれ、画面からは暖かな日差しが感じられます。病に苦しむ中村が、小康を得た冬の晴れた午前中に、窓の外の景色をスケッチした情景がうかがえます。作品には、アトリエ近隣にあった日本聖書神学校のメーヤー館も描かれています。

技法と素材 本作品は油彩・麻布・額装という技法と素材で制作されています。中村はレンブラントの画集を繰り返し鑑賞してその技法を習得しようとした初期の影響や、後にルノワールやポール・セザンヌなどの影響を受けながら、独自の画風を確立しました。色彩は柔らかく繊細な筆致で描かれており、鑑賞者をして「大変繊細で、長いこと眺めていたい」と感じさせるような表現が用いられています。画面全体に広がる暖かな日差しは、彼がこの日常的な光景に注いだ穏やかな眼差しを伝えています。

作品の意味 《目白の冬》は、病と向き合いながらも創作を続けた中村彝の精神世界を映し出す作品と解釈されます。アトリエから望む日常の風景は、画家にとって限られた生活空間における世界の広がりであり、生命の息吹を感じさせる温かい日差しや人々の営みは、病中の画家にとって希望や安らぎの象徴であった可能性があります。当時の下落合は武蔵野の面影を残しており、都市化が進む中で失われつつあった自然や素朴な人々の生活を捉えようとする意図も見て取れます。この作品は、その時代における画家の内面と外界との対話、そして日常の中に潜む美しさや生命の尊厳を表現したものと言えます。

評価と影響 中村彝は明治から大正期にかけて活躍した日本の洋画壇における重要な画家のひとりであり、その早逝が惜しまれる才能でした。彼が病のために海外での研鑽を積むことができなかったにもかかわらず、西洋の巨匠たちの絵画から多くを学び、自己の様式を確立したことは高く評価されています。 《目白の冬》は、現在、茨城県近代美術館に所蔵されており、その芸術的価値が認められています。本作品が「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展に選出されていることは、新宿が近代美術の拠点の一つとして多くの芸術家が集った歴史の中で、中村彝の存在とその作品が持つ意義が再評価されていることを示しています。この展覧会は、新宿ゆかりの芸術家たちの約半世紀にわたる軌跡をたどる試みであり、《目白の冬》はその中で中村彝の画業と新宿という土地の関連性を象徴する作品として、改めて注目を集めています。