中村彝 / Nakamura Tsune
「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展にて紹介される中村彝の作品「麦藁帽子の自画像」は、近代日本洋画史において重要な位置を占める作品です。
この作品は、1911年(明治44年)に油彩・カンヴァスで描かれ、現在は株式会社中村屋が所蔵しています。
中村彝(なかむら つね)は1887年(明治20年)に茨城県で生まれました。幼い頃から軍人を志していましたが、胸部疾患のためその道を断念し、絵画の道へと進みました。彼は千葉での療養中に水彩画を始め、その後、白馬会葵橋洋画研究所で黒田清輝に、太平洋画会研究所で中村不折や満谷國四郎に師事し、洋画の研鑽を積んでいます。 特に、彫刻家・荻原守衛(碌山)が唱えた「生命の芸術論」からは強い影響を受けました。
「麦藁帽子の自画像」が制作された1911年は、中村彝が新宿・中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻の厚意により、中村屋の裏にあった荻原守衛のアトリエに移り住んだ年です。 この頃の中村屋は、荻原守衛をはじめ多くの芸術家が集う「中村屋サロン」として知られ、若き芸術家たちの交流と支援の場となっていました。 この作品は、中村彝が中村屋サロンの中心人物として活躍を始めた時期の代表作の一つとして位置づけられます。
中村彝の自画像は、彼の作風の変遷と自己の探求を示す重要な作品群であり、「麦藁帽子の自画像」は、彼の画家としての第二の時期に制作されました。この時期の自画像は、初期のレンブラントの影響を受けた重苦しく沈鬱な表情の作品から一転し、ルノワールなどの印象派の影響を受けた明るい色彩と、肉感的で柔らかな表情が特徴とされています。 病に苦しんだ自身の内面を深く見つめた初期の作品に対し、この時期の作品は、外界へと開かれていくような自己の存在性を表現しようとする意図が見て取れます。
作品は油彩・カンヴァスという古典的な洋画の技法で描かれています。この時期の中村彝の表現技法は、明るい光の表現と輪郭の曖昧さが特徴です。 これは、光の強さと形態の境界をあえてぼかすことで、軽やかで開放的な空間を提示し、画家自身の内面が外部へと表出していく印象を与えています。 透明感のある層を重ねることで温かみのある表現に至る後の技法へと繋がる、独自の表現を模索する過程がうかがえます。
「麦藁帽子の自画像」は、自画像というジャンルが持つ、描く主体と描かれる客体が同一であるという特殊性を通して、画家自身の「私」のイメージの変遷を探求した作品です。 麦藁帽子という小道具は、日常性や開放感、あるいは画家が求めたであろう束の間の平穏や希望を暗示している可能性も考えられます。暗い陰影に沈む初期の自画像とは異なり、明るい光の中で描かれたこの自画像は、病と向き合いながらも、画家として新たな境地を開こうとする中村彝の、精神的な解放と前向きな姿勢を象徴しているとも解釈できます。
中村彝は、明治末から大正期にかけて活躍した近代日本を代表する洋画家の一人です。 「麦藁帽子の自画像」は、彼の芸術家としての成長過程と、印象派からの影響を独自に消化しようとした痕跡を示す作品として高く評価されています。 特に、画家の自己像が内省的なものから外向的なものへと変化していく様を捉えた点で、彼の自画像群の中でも重要な位置を占めています。
この作品は、中村彝のその後の代表作である「エロシェンコ氏の像」 に至る、画風の成熟の過程を示すものとしても重要視されており、多くの展覧会で中村彝の初期から中期にかけての重要な作品として紹介されています。 中村屋との深い関わりを示す資料としても、文化史的な価値を有しています。