荻原守衛 / Ogihara Moriye
本記事では、開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」展で紹介される荻原守衛の《香炉》について、その制作背景、技法、芸術的意義、そして日本近代彫刻に与えた影響を解説します。
彫刻家・荻原守衛(おぎはら もりえ、号:碌山)は、1879年(明治12年)に長野県安曇野市に生まれました。彼の芸術家としての道のりは、中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻との出会いから始まります。特に、黒光が持参した長尾杢太郎の油絵《亀戸風景》を初めて目にしたことが、守衛が芸術を志す大きなきっかけとなりました。
守衛は1901年(明治34年)に渡米し絵画を学び、1903年(明治36年)にはパリへ渡ります。そこで1904年(明治37年)、オーギュスト・ロダンの代表作《考える人》と出会い、その芸術の威厳と美の神聖さに深く感動し、彫刻家となることを決意しました。 1907年(明治40年)にはロダンを直接訪問し、教えを受けています。
1908年(明治41年)に約7年間の海外留学から帰国した守衛は、新宿にアトリエ「オブリビオン(忘却庵)」を構え、創作活動に専念しました。 この帰国後の時期、1909年(明治42年)頃に制作された作品の一つが、今回展示されるブロンズ製の《香炉》です。 守衛は同時期に、《文覚》や《北條虎吉像》といった具象彫刻も手がけており、これらの作品群は彼が日本近代彫刻の扉を開く上で重要な位置を占めています。 また、新宿中村屋は、守衛を中心として多くの芸術家たちが集う「中村屋サロン」の場となり、日本の芸術文化の発展に大きく貢献しました。
《香炉》は、守衛がロダンの影響を強く受けた時期に、ブロンズを素材として制作されました。 ロダンの彫刻に触れて以来、守衛は人間の内面に宿る生命力や精神性を、ダイナミックで感情豊かな表現で捉えようとしました。彼は、目に見えない骨格や筋肉の動きまで徹底的に研究し、つぶさに肉体を写し取ることを追求したとされています。 また、西洋の近代彫刻のみならず、古代エジプト彫刻や日本の天平時代の仏像なども研究し、それらに通じる本質的な美を見出そうとしました。
《香炉》という実用的な器物でありながらも、守衛の作品には、こうした内側から湧き出るような生命感と、動きを感じさせる造形への探求が見て取れます。素材であるブロンズの質感は、守衛が追求した力強い表現と量感に適しており、彼の彫刻が持つ深みと存在感を際立たせています。
《香炉》は、守衛が日本近代彫刻の確立に向けて模索していた時期の作品であり、その後の彼の代表作に繋がる重要な位置づけにあります。彼がロダンから受けた影響、すなわち、人間の内面を深く掘り下げ、形あるものを通して精神性を表現しようとする姿勢は、《香炉》にも通底しています。器物としての機能を超え、ブロンズという素材が持つ重厚感の中に、守衛ならではの生命力や、西洋と東洋の美意識が融合した独自の造形感覚が息づいています。
荻原守衛は、日本にロダン彫刻の精神をもたらし、近代彫刻の父と称される存在です。 彼は1910年(明治43年)に30歳の若さでこの世を去りましたが、日本で彫刻を制作したわずか2年余りの間に、近代彫刻の礎となる数々の傑作を生み出しました。 その絶作《女》の石膏原型が重要文化財に指定されていることからも、彼の芸術が日本近代美術史に与えた影響の大きさがうかがえます。 《香炉》もまた、彼の短くも鮮烈な創作活動の中で、内なる情熱と美への探求が形となった作品であり、日本近代彫刻の夜明けを告げる貴重な一品として評価されています。