平塚市美術館 展示室1にて開催される「国立劇場の名品展—鏑木清方、小倉遊亀、東山魁夷、髙山辰雄、加山又造…」は、日本の伝統芸能の殿堂である国立劇場に所蔵されてきた日本画を中心とする珠玉のコレクションを一堂に公開する、稀有な機会を提供する展覧会です。国立劇場の再整備等事業に伴う閉場期間中、平塚市美術館がその貴重な作品群36点をお預かりすることとなり、劇場内とは異なる美術館の展示空間で、これらの作品が持つ多種多様な魅力に焦点を当てます。これらの作品が場外で一堂に展示されるのは本展が初めてであり、その歴史的意義と芸術的価値は極めて高いと言えます。本展は、近現代日本画の変遷を辿るとともに、国立劇場を彩ってきた名品が放つ独自の輝きを深く鑑賞する機会となるでしょう。
1:展覧会の見どころ
本展の最大の見どころは、国立劇場という日本の文化芸術を象徴する施設に長年展示され、その格調高い雰囲気を醸成してきた作品群を、美術館という新たな文脈で鑑賞できる点にあります。鏑木清方、小倉遊亀、東山魁夷、髙山辰雄、加山又造といった、日本画壇の最高峰を極めた作家たちの作品36点が揃うことは、それ自体が壮観です。これらの作品は、国立劇場が設立された1966年以降に制作されたもの、および大正期の鏑木清方の作品《野崎村》を含み、戦後日本画が直面した転換期における画家の多様な模索と、新しい日本画のあり方を追求する試行錯誤の軌跡を示すものとして、その芸術的・歴史的価値は計り知れません。
特に、国立劇場のコレクションには、戦後の1940年代において、新しい現実社会を生きる人々の感覚と伝統的な日本画との間に生じた差異を乗り越え、西洋絵画の表現手法を参照したり、東洋古典の新解釈を試みたりするなど、意識的にも造形的にも試行錯誤を重ねた画家たちの作品が多く含まれています。本展は、それらの傾向が顕著にあらわれた多種多様な作品を通じて、戦後日本画の多彩な表現の広がりと深みを体系的に理解できる貴重な機会となるでしょう。
また、普段は劇場の空間を彩り、幕間や上演前後の観客に親しまれてきた作品群を、純粋な美術作品として、細部にわたってじっくりと鑑賞できることも本展の大きな魅力です。美術館の照明や空間構成により、作品が本来持つ色彩の妙や筆致の繊細さ、構図の奥深さが一層際立ち、新たな発見や感動を呼び起こすことでしょう。
2:展覧会の流れ
本展は、国立劇場が誇る36点の日本画コレクションを、主題やモチーフに基づいて以下の4つのテーマに分けて構成されており、来場者は各章を巡ることで、日本の近現代美術の多様な側面と、国立劇場に集められた名品が織りなす世界を順序立てて鑑賞できます。これらの章は、それぞれ独立したテーマを持ちながらも、国立劇場という共通の舞台を彩った作品群として密接に関連し、戦後日本画の多様な表現が追求された時代の息吹を伝えています。
全体像としての国立劇場コレクションの紹介
展覧会の冒頭では、日本の伝統芸能の保存と振興を目的として1966年に設立された日本初の「国立」の劇場である国立劇場の歴史的背景が紹介されます。明治初期の近代国家建設期から切望された官立劇場が、長い時を経て開場に至るまでの経緯と、その場内を飾るために当時の画壇最高峰の作家たちによって集められた日本画コレクションの意義が提示されます。これらの作品は、劇場という特定の空間において、日本の伝統美と現代の息吹が融合した格調高い趣を創り出す役割を担ってきました。本展は、これらの作品が戦後の日本画において、新しい表現のあり方を模索した時代の潮流を反映していることを示し、各章へと鑑賞者を導きます。大正3年(1914年)制作の鏑木清方《野崎村》を除き、ほとんどの作品が1940年代以降に制作されており、戦後の日本画が伝統と革新の間で試行錯誤を重ねた、まさにその転換期の様相が多角的に紹介されます。
第1章:物語・役者を描く
この章では、日本の伝統芸能である歌舞伎や文楽などの一場面や、それらを演じる役者の姿を主題とした作品が紹介されます。劇場の空間に相応しく、舞台の情景や登場人物の感情を巧みに捉えた絵画は、観る者を物語の世界へと誘います。
展示される作品の中には、鏑木清方(1878-1972)による大正3年(1914年)の《野崎村》が挙げられます。この作品は、身分違いの恋に悩む大坂油屋の娘・お染の切ない情景を描いたもので、清方ならではの繊細な筆致と情感豊かな表現が光ります。登場人物の心理描写と物語性を重視した清方の芸術は、日本の風俗画の流れを汲みながらも、近代的な女性像や叙情性を追求した独自の境地を確立しました。また、伊東深水(1898-1972)の《娘道成寺を踊る吾妻徳穂》(1965年)は、歌舞伎舞踊の名作「娘道成寺」を踊る舞踊家の姿を捉えた作品であり、舞台上の一瞬の輝きと、役者が放つ内面的な美しさを描き出しています。さらに、森田曠平(1916-1994)の《ひらかな盛衰記(笹引の段)》(1989年)も、古典芸能の一場面を主題とし、物語の緊迫感や登場人物の情念が色濃く表現されています。これらの作品は、舞台芸術の躍動感と絵画表現の静謐さが融合し、伝統芸能の美を新たな形で提示します。
第2章:風景を描く
続く第2章では、日本の自然が持つ豊かな表情や、画家たちが心象風景を投影した作品が展示されます。この章の作品は、戦後の日本画が伝統的な山水表現に加え、より現代的な感性で風景と向き合った様相を伝えています。
特に注目されるのは、東山魁夷(1908-1999)の《雪原譜》(1963年)です。東山魁夷は、独自の青緑色を基調とした色彩感覚と、静謐で詩情豊かな風景表現で知られています。彼の作品は、広大な自然の中に身を置くことで得られる精神的な安らぎや、悠久の時の流れを感じさせます。厳寒の雪原を描いたこの作品も、見る者の心を深く落ち着かせ、自然と一体となるような感覚を呼び起こすでしょう。また、川端龍子(1885-1966)の《天橋図》(1960年)も展示されており、力強い筆致と大胆な構図で、日本三景の一つである天橋立の雄大な景色を描き出しています。これらの風景画は、単なる写実にとどまらず、画家の内面的な精神性や、自然に対する深い畏敬の念が込められており、日本画における風景表現の多様性と深淵さを示します。
第3章:花・動物を描く
この章では、日本画の伝統的な主題である花鳥画の流れを汲みながらも、現代的な解釈や表現が加えられた作品が紹介されます。花や動物は、古くから季節の移ろいや生命の象徴として描かれ、人々の心を惹きつけてきました。
展示作品には、加山又造(1927-2004)の《紅鶴》(1964年)があります。加山又造は、琳派の装飾性や水墨画の空間表現を取り入れつつ、西洋絵画の技法も融合させた独自の画風を確立しました。彼の作品に見られる大胆な構図と鮮やかな色彩は、現代日本画の新たな可能性を切り開いたものとして評価されています。本作品の紅鶴は、その優雅な姿と生命力溢れる色彩によって、見る者に強い印象を与えるでしょう。さらに、山口蓬春(1893-1971)の《花菖蒲》(1967年)も展示され、繊細な筆遣いと色彩で花菖蒲の清らかな美しさを表現しています。これらの作品は、生命の輝きや自然の造形美に対する画家たちの深い洞察と、それを表現するための多様な技法が凝縮されています。
第4章:人を描く
最後の章では、演劇の役者像を超えた、より普遍的な人間の姿や表情を描いた作品が紹介されます。この章では、個人の内面や、現代社会を生きる人々の姿が、それぞれの画家の視点を通して描かれています。
この章のハイライトの一つは、小倉遊亀(1895-2000)の《月》(1955年)です。小倉遊亀は、独自の写実に基づきながらも、温かく深い精神性を宿した人物画で知られています。彼女の描く人物は、内省的で静かな佇まいの中に、強い意志や感情を秘めているかのように感じられます。本作品の「月」は、抽象的な題名に込められた人間像の深い精神性を読み取ることができるでしょう。この章の作品は、人物の内面性や、時代と共に変化する人間像を捉えることで、鑑賞者に深い共感を呼び起こします。画家たちがどのようにして、時代の息吹を纏った人間像を、伝統的な日本画の枠組みの中で表現しようと試みたのかを考察する機会となります。
各章の関係性
本展の各章は、主題やモチーフによって分けられているものの、全てが「国立劇場のコレクション」という共通の背景によって強く結びついています。第一章の「物語・役者を描く」は、劇場の本質である舞台芸術と密接に関わり、第二章の「風景を描く」、第三章の「花・動物を描く」、第四章の「人を描く」は、それぞれ日本の豊かな自然や生命、そして現代を生きる人々の姿を、日本画という表現形式で捉えたものです。
これらの作品群は、国立劇場という「場」を彩るために、それぞれの芸術家が日本の美意識と創造性を最大限に発揮して制作されました。各章の作品は、古典的な主題を継承しつつも、戦後の混乱と復興の中で新しい価値観や表現方法を模索した画家たちの試行錯誤の軌跡を示すものと言えます。例えば、西洋絵画の表現手法を参照したり、東洋古典の新解釈を試みたりするなど、意識的にも造形的にも新たな表現を追求した傾向が、この多様なコレクションには集約されています。
このように、各章は異なるテーマを提示しながらも、国立劇場という日本の文化の象徴たる場所に集められた「名品」としての統一感と、戦後日本画の多様な発展という共通の物語を織りなしています。来場者は、各章を巡ることで、それぞれの作品が持つ独立した美しさを味わうだけでなく、日本の近現代美術史における一つの重要な局面と、国立劇場が果たした文化的な役割を多角的に理解することができるでしょう。
3:全体のまとめ、結びの文章
「国立劇場の名品展—鏑木清方、小倉遊亀、東山魁夷、髙山辰雄、加山又造…」は、平塚市美術館が提供する、日本の近現代美術史における極めて重要な展覧会です。国立劇場という日本の伝統芸能の中心を彩ってきた珠玉の日本画コレクション36点を、初めて劇場外で一堂に公開するという、またとない機会がここにあります。普段は劇場の特別な空間でしか目にすることのできないこれらの作品を、美術館という異なる環境で鑑賞することで、それぞれの作品が持つ純粋な芸術性や、細部に込められた画家の息遣いを、より深く、より多角的に感じ取ることが可能となります。
本展で紹介される作品群は、大正から昭和、平成にかけての日本画壇を代表する巨匠たちによって描かれ、特に戦後日本画が新しい表現を模索し、発展を遂げた時代の潮流を色濃く反映しています。物語・役者、風景、花・動物、そして人という四つのテーマに沿って構成された各章は、多様な主題と表現技法を通じて、日本画の奥深さと可能性を余すことなく示しています。鏑木清方による情緒豊かな人物描写、東山魁夷の静謐な風景表現、加山又造の大胆な装飾美、そして小倉遊亀の温かな人物像など、各作家の個性が光る傑作の数々は、観る者に感動と示唆を与え、日本の美意識の多様性を再認識させるでしょう。
この展覧会は、単に美しい作品を鑑賞するに留まらず、国立劇場が長きにわたり育んできた文化的な役割と、それが日本の美術史に与えた影響について深く考察する機会を提供します。劇場という空間から美術館という異なる文脈へと場所を移すことで、これらの名品が放つ新たな輝きを発見し、日本の伝統と革新が織りなす芸術の世界を心ゆくまで堪能できることでしょう。ぜひこの貴重な機会に平塚市美術館を訪れ、国立劇場に息づく日本画の粋をご自身の目でご鑑賞ください。