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小倉遊亀

小倉遊亀《月》の紹介記事

国立劇場の名品展にて紹介される小倉遊亀の作品「月」は、1955年に制作された、彩色・紙による日本画です。縦189.0 × 横146.0 cmという大画面に描かれたこの作品は、第40回再興院展に出品されました。

作者 小倉遊亀について

小倉遊亀(おぐら ゆき、1895-2000)は、滋賀県大津市に生まれ、明治から平成にかけて活躍した日本を代表する女性日本画家です。1917年に奈良女子高等師範学校を卒業後、教職に就く傍らで安田靫彦に師事し、画家の道を歩み始めました。1926年には再興日本美術院展に初入選し、1932年には女性として初めて日本美術院同人に推挙され、画壇における確固たる地位を築きました。その後も、1980年には文化勲章を受章し、1990年から1996年まで日本美術院理事長を務めるなど、女性画家として第一線を走り続けました。105歳で逝去するまで旺盛な制作活動を続けたその生涯は、多くの人々に感銘を与えています。 小倉遊亀の画風は時代とともに変遷を見せ、特に戦後はマティスやピカソなど西洋絵画の研究成果を大胆に取り入れ、新しい時代の日本画を追求しました。彼女の作品は、身近なものを題材とした人物画や静物画が多く、澄んだ色彩と骨太な線描、そこから生まれる明快な造形が特徴です。東洋的な精神性を重んじながらも、豊かな日常感覚に支えられた近代的な表現を明確に打ち出し、その画業は昭和の日本画に新たな変革をもたらしたと評価されています。また、彼女は余白を「沓(よう)として漂う無限の空間」と表現し、余白の表現に特別なこだわりを持っていました。

作品「月」の背景と意図

1955年に制作された本作「月」は、戦後の日本画が新たな展開を模索する時代に描かれました。小倉遊亀は、1965年にも同タイトルの「月」を制作しており、両作品は月と裸婦の題材、空と地面を暗示させる構成、裸婦のポーズの類似、そして銀箔の使用など、多くの共通点が見られることから、1955年の作品がその後の作品へと展開されたものと推測されます。 小倉遊亀は、花や子供、裸体の女性など、描く対象の中に仏性を見出し、鑑賞者にもそれを感じてほしいという意図があったとされます。この「月」においても、普遍的なモチーフである月と女性像を通して、生命の神秘や存在の尊さ、あるいは人間の内面性といった深遠なテーマを探求しようとしたと考えられます。

技法と素材

「月」は、彩色・紙という日本画の伝統的な素材を基盤としつつ、小倉遊亀独自の表現が加えられています。画面の大きさは189.0 × 146.0 cmで、力強い構成が特徴です。1965年の同名作品では、銀箔が月光を表現するために使用され、その変色を避けるためにプラチナ泥が塗布されていたことが確認されています。1955年の「月」にも銀箔の使用が示唆されており、月光の表現に銀箔特有の輝きが効果的に用いられたと推測されます。小倉遊亀は、胡粉ベースの絵具を何度も重ねたプラチナ箔を用いて深遠な世界を表現するなど、箔の技法を巧みに取り入れていました。このような技法によって、作品は単なる写実を超えた象徴的な奥行きと静謐な美しさを獲得しています。

作品の意味と解釈

作品「月」において、月と裸婦というモチーフの組み合わせは、古来より多くの芸術家が探求してきた普遍的なテーマです。月は神秘性、静寂、変化、そして女性性を象徴することが多く、裸婦は生命力、純粋さ、あるいは精神性を表すことがあります。小倉遊亀の作品全体に共通する、澄んだ色彩と骨太な線描は、これらのモチーフに清らかな品格と力強い生命力を与えています。彼女が「描く対象の中に仏性を観ていた」という精神性は、この作品の裸婦像にも深く宿り、鑑賞者に穏やかながらも深遠な問いかけを投げかけていると解釈できます。

評価と影響

「月」が発表された第40回再興院展は、近代日本画の重要な公募展であり、当時の日本画壇における小倉遊亀の存在感を示すものでした。小倉遊亀は、女性として初めて日本美術院の同人となり、その画業を通じて昭和の日本画に新しい変革をもたらしました。彼女の大胆な構成と洗練された色彩感覚は、後進の画家たちにも大きな影響を与え、その作品は現代においても多くの美術館に所蔵され、展覧会を通じて鑑賞され続けています。