桑田笹舟
国立劇場で開催されている「国立劇場の名品展」にて展示されている、書家・桑田笹舟の作品「千本桜道行」をご紹介します。この作品は、日本の書道史において重要な足跡を残した桑田笹舟の芸術観と、古典への深い敬意が凝縮された一点です。
作品「千本桜道行」は、1977年に制作されました。この年は、桑田笹舟が喜寿(77歳)を迎えた記念すべき年であり、彼の円熟した書境を示す作品群の一つとして位置づけられます。桑田笹舟は、明治33年(1900年)に広島県福山市に生まれ、本名を明と称しました。神戸市立教員養成所にて安東聖空に師事し、かな書の美に目覚めます。その後、古筆研究家の田中親美に料紙を学ぶなど、かな書の奥義を深く探求していきました。
戦後は、日本かな書道界を牽引する存在となり、現代かな書の先駆けとして活躍しました。特に1960年代からは、屏風や額といった大きな媒体にかなを書く「大字かな」運動の先駆者として、書道が壁面芸術として現代空間に調和する新たな表現を追求し、その隆盛の基礎を築きました。
「千本桜道行」という作品名から、本作は人形浄瑠璃および歌舞伎の演目「義経千本桜」に由来すると考えられます。特に「道行初音旅」の段は、源義経の愛妾・静御前が、源九郎狐が化けた佐藤忠信と共に吉野山の桜の中を旅する情景を描いたもので、恋と忠義、そして幻想的な要素が織りなす人気の高い場面です。この古典への言及は、笹舟が日本の伝統文化と文学に対する深い理解と敬愛を持っていたことを示唆しています。喜寿という節目の年に、日本の古典美を現代の書として表現しようとする強い意図があったと推察されます。
「千本桜道行」は、1977年に墨と紙を用いて制作され、サイズは縦168.5cm、横89.5cmという大作です。桑田笹舟は、書だけでなく料紙研究においても功績を残しており、自作の料紙を用いて作品を制作したり、寸松庵色紙や継色紙といった古典仮名名筆の復元研究にも取り組みました。そのため、本作においても、紙の選定や墨の表現に深いこだわりが込められていると考えられます。
彼の壮年期には流麗で繊細な筆致が特徴的でしたが、晩年には書風が大きく変化し、万葉仮名を多用し、漢字作品のような力強い筆致で歌を表現しました。行間をすっきりと空けた構成からは凛とした空気が伝わり、弦楽器的流麗さから打楽器的リズム感の表現への変貌がうかがえる作品も残しています。この「千本桜道行」も、そのダイナミックな表現の一端を担うものと推測されます。
「千本桜道行」というタイトルは、「義経千本桜」の「道行初音旅」から着想を得ていることから、作品には、静御前と狐忠信が織りなす悲哀と忠義、そして満開の吉野の桜の情景が込められていると解釈できます。書に込められた筆致や構成は、道行の場面が持つ情緒、すなわち旅の情感や景色を詠み込んだ旋律を表現している可能性があります。
桑田笹舟が「大字かな」の先駆者として、かな書を現代空間に適合させようとした意図を考えると、この作品は単なる文字の羅列ではなく、古典文学の世界観を書の持つ力強い表現で再構築し、鑑賞者に直接語りかけることを目指した作品と言えるでしょう。
桑田笹舟は、日展特選、日本芸術院賞など数々の賞を受賞し、日展審査員・評議員・理事、毎日書道展審査会員、日本書芸院名誉顧問などを歴任しました。彼は、関西かな書道界の基礎を築いた一人であり、門下からは多くの人材を輩出しました。特に「大字かな」運動は、それまでの帖や巻子といった形式の繊細なかな表現から、壁面芸術としての大きなかな表現へと発展させ、現代書道隆盛の基礎を築いたものとして高く評価されています。
「千本桜道行」が「国立劇場の名品展」で展示されていること自体が、この作品が日本の芸術文化における重要な名品の一つとして認められている証です。桑田笹舟の作品は、古典に根ざしながらも現代的な表現を追求した姿勢が、後進の書家たちに大きな影響を与え、現代かな書道の発展に多大な貢献をしました。彼の料紙研究もまた、その後の書道界に貴重な遺産を残しています。