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娘道成寺を踊る吾妻徳穂

伊東深水

伊東深水《娘道成寺を踊る吾妻徳穂》

伊東深水が1965年(昭和40年)に制作した《娘道成寺を踊る吾妻徳穂》は、近代日本画における美人画の巨匠が、舞踊の精髄を描き出した作品です。国立劇場で開催された「国立劇場の名品展」に出品された本作は、彩色・紙による大作で、178.0 × 97.0 cmの画面に、日本舞踊家の吾妻徳穂が「娘道成寺」を舞う姿が描かれています。この作品は、同年開催の第8回新日展にも出品されました。

制作背景・経緯・意図

伊東深水(1898-1972)は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家、版画家であり、鏑木清方を師とし、歌川派浮世絵の伝統を受け継ぎながらも、現代的な感覚を取り入れた美人画の大家として知られています。彼は「美人画以外の画題を描きたくても注文がほとんど来ない」と自ら語るほど、女性の美を追求することに生涯を捧げました。その作品は、繊細な写実性と情緒豊かな画風が特徴です。

本作は、伊東深水の晩年期にあたる1965年に制作されました。この時期も深水は日展を主な発表の場とし、堅実な表現力と優美な描写で不動の地位を確立していました。 作品の題材である「娘道成寺」は、安珍・清姫伝説を基にした歌舞伎舞踊の大曲で、正式名称を「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」といいます。これは歌舞伎の女形が演じる舞踊の最高峰とされ、道成寺の鐘供養に現れた白拍子花子が、恋に破れた女性の情念を舞い、やがて蛇体へと変化する姿を描き出します。

深水が本作で吾妻徳穂(1909-1998)をモデルに選んだのは、彼女が日本舞踊界における著名な舞踊家であったためと推測されます。作品は背景を排し、吾妻徳穂の舞う姿のみに焦点を当てることで、踊り手の身体が表現する「娘道成寺」の持つ華やかさと、そこに秘められた女性の情念そのものを際立たせる意図があったと考えられます。これにより、鑑賞者は舞踊家が醸し出す情感に深く没入することが促されます。

技法と素材

本作は「彩色・紙」で描かれており、伊東深水が長年培ってきた日本画の伝統的な技法が惜しみなく用いられています。深水は自身の著作「美人画の描き方」の中で、下図、念紙と引伸、描線、着色と暈渲(うんせん:色をぼかして表すこと)、調色といった詳細な制作工程を解説しています。

彼の美人画における技法の特筆すべき点は、その「描線」にあります。女性の姿を構成する線は、墨線の上に薄く色線を重ねることで、上品かつ柔らかな印象を生み出しています。また、「着色」においては、一度で色を置くのではなく、何度も色を重ねることで深みと奥行きのある色彩を表現し、品格のある落ち着いた色合いを作り出しました。 この緻密な筆致と繊細な色彩表現が、紙という素材の上で、舞踊家のしなやかな動きと着物の流れるような美しさを、より一層引き立てています。

意味合い

《娘道成寺を踊る吾妻徳穂》は、単なる人物画に留まらず、日本の伝統芸能である舞踊と、それを通して表現される女性の普遍的な情感を捉えようとした作品です。深水が描いた「娘道成寺」の白拍子花子は、満開の桜の中で繰り広げられる華やかな舞の中に、恋に苦悩する乙女心や、やがて嫉妬に狂い蛇体と化すほどの激しい情念を秘めています。

吾妻徳穂の舞踊を通して、深水は、美しさの裏に潜む人間の業や、情念といった深遠なテーマを表現しようとしたと言えるでしょう。背景を省略することで、鑑賞者の意識は舞踊家の姿、その表情、そして舞の動きが語りかける物語へと集中させられ、作品が持つ象徴的な意味合いが強調されています。

評価と影響

この作品が1965年の第8回新日展という主要な美術展覧会で発表されたことは、当時の美術界において重要な位置を占める作品であったことを示しています。 伊東深水自身は、1958年に日本芸術院会員に推挙され、同年には日展の理事に就任するなど、その芸術的功績は高く評価されていました。 彼の美人画は、複製版画としても広く頒布され、多くの人々に愛され、「国民的画家」と称されるほどでした。

《娘道成寺を踊る吾妻徳穂》は、深水が晩年に至っても、伝統的な美人画の枠を超え、舞台芸術という新たな領域における美の探求を続けた証と言えます。著名な舞踊家を画題に選んだことは、当時の芸能界と美術界の交流を示すものでもあり、その後の日本画における人物表現、特に舞踊をテーマとした作品に影響を与えた可能性も考えられます。この作品は、伊東深水が追求した「時代と風俗は変わっても美人へのあこがれは不変」という芸術思想を、伝統的な舞踊の題材を通して具現化した、傑出した一例として記憶されています。