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没後55年 藤田嗣治と猫展

府中市美術館で開催される「フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫」展は、画家・藤田嗣治(1886-1968)と彼が生涯にわたり愛し、描き続けた猫たちに焦点を当てながら、日本の近代洋画における「猫」というモチーフの歴史を多角的に紐解く大規模な展覧会です。藤田嗣治の没後55年を記念し企画された本展では、藤田作品の傑作群はもとより、彼が猫を洋画の主題として確立した影響のもと、多様な表現を追求した日本の洋画家たちの作品が一堂に会します。会期は2025年9月20日から12月7日まで開催されます。


1:展覧会の見どころ

本展の最大の見どころは、藤田嗣治が描いた「猫」の傑作が一堂に会する点にあります。藤田は「乳白色の肌」と称される裸婦像で国際的な名声を得ましたが、その傍らには常に猫の姿がありました。初期の作品から晩年まで、彼の芸術人生に寄り添った猫たちの姿を辿ることで、藤田の画業の深層に迫ることができます。

二つ目の見どころは、「猫」というモチーフを通じて、西洋と日本の絵画史における動物観の違いを探る点です。西洋絵画では人物が主役とされ、動物画は脇役にとどまることが多かったのに対し、日本では古くから人と動物は同じ心を持つという思想のもと、多様な動物画が描かれてきました。本展では、藤田がいかにして猫を洋画の主要な主題へと押し上げたか、そしてその背景にある文化的差異を比較しながら考察します。

三つ目は、藤田嗣治の影響のもとに、日本の洋画家たちが生み出した個性豊かな「猫」の表現に触れることができる点です。藤田以降、多くの日本の洋画家たちが猫を題材に取り上げ、それぞれ独自の解釈と表現で作品を制作しました。本展では、26人の作家による83点もの作品が展示され、日本の洋画における猫の絵画史の広がりと奥行きを体験することができます。


2:展覧会の流れ

本展は、藤田嗣治の猫作品の変遷を軸に、西洋と日本の動物画の比較、そして藤田以降の日本の洋画家たちによる猫の表現へと展開していく、三つの主要なテーマで構成されています。来場者はこれらのテーマを順に巡ることで、藤田嗣治と猫たちの奥深い関係性、そして日本の洋画史における猫の役割を包括的に理解することができるでしょう。

第一章:フジタの猫、傑作が大集合

この章では、藤田嗣治が描いた猫の作品に焦点を当て、彼の画業における猫の存在の重要性を紐解きます。藤田嗣治にとって猫は単なるペットではなく、自身の芸術的アイデンティティを象徴し、作品に深みと個性を与える不可欠なモチーフでした。

展示は、藤田が1920年代のパリで「乳白色の裸婦」シリーズによって一躍脚光を浴びた初期の作品から始まります。当時、彼は独特の下地に日本画の筆を用いた繊細な描法で裸婦像を描き、その傍らに一匹の猫を配することで、作品に官能性とミステリアスな魅力を添えました。ベッドの上の猫が、裸婦の感情や情景の一部として描かれ、見る者に深い印象を与えたのです。これらの初期作品を通じて、猫がいかに藤田の出世作において重要な役割を果たしたかを確認できます。

次に紹介されるのは、猫の版画集『猫十態』や、藤田の猫人気を決定づけたとされる『猫の本』といった、猫を主題とした出版物です。特に『猫の本』はニューヨークで出版され、彼の猫作品が国際的な注目を集めたことを示しています。藤田は自画像にも繰り返し猫を描き入れたり、宣伝用の写真でも猫を抱いたりするなど、猫を自身のシグネチャーとして積極的に活用しました。この時期の作品は、猫が彼にとってパリ画壇で個性を際立たせるための象徴であったことを物語っています。

展覧会はさらに、戦時下の混沌とした時代に描かれた「猫の乱闘」などの作品へと進みます。これらの作品は、社会の動乱を背景に、猫たちの争いや生々しい表情を通じて、人間の感情や社会の状況を象徴的に表現しています。猫の持つ気まぐれさ、しなやかさ、そして時に見せる獰猛な一面が、画家の内面や時代精神と響き合い、見る者に強烈なメッセージを投げかけます。

そして、晩年の藤田がフランスへ帰還し、信仰へと向かう安息の時代に描かれた猫の絵へと続きます。ここでは、彼が最後まで手元に置いていたとされる「猫を抱く少女」のような、より内省的で愛情深い猫の肖像が紹介されます。この作品は、藤田にとって猫が単なるモチーフを超え、人生の喜びや慰め、そして心の安らぎを与えるかけがえのない存在であったことを雄弁に物語っています。猫の眼差しや仕草に込められた深い感情の表現は、画家の人間性が色濃く反映されており、見る者の心に静かな感動を呼び起こすでしょう。

この章全体を通じて、藤田嗣治がいかに多様な表現で猫を描き続け、その猫たちが彼の画業のあらゆる局面において重要な役割を担っていたかを明確に示します。彼の描く猫たちは、時代とともにその表情を変えながらも、常に藤田の創造力の源であり続けました。

第二章:西洋と日本、「猫」の絵をめぐる歴史を探る

この章では、藤田嗣治の猫作品を起点としつつ、西洋と日本の絵画史における「猫」の扱いの違いに光を当て、動物観の比較を通じてその文化的背景を探求します。この比較は、藤田がなぜ洋画において猫を主要なモチーフへと押し上げることができたのかという問いに対する答えを提示します。

まず、洋画が日本に導入された明治時代初期において、猫の絵がほとんど描かれなかったという事実から展示は始まります。その理由として、西洋絵画の伝統が挙げられます。西洋では古くから「絵画の主役は人物」という芸術観が強く、神話、歴史、宗教、肖像など、人間の姿を主題とすることが重視されました。動物は風景画や人物画の脇役として登場することはあっても、独立した主題となることは稀でした。したがって、西洋の画家たちが手本とした当時の西洋絵画には、猫を主要なモチーフとした作品は少なかったのです。

この状況を示す例として、エドゥアール・マネの《オランピア》の版画が展示されます。この作品に描かれた黒猫は、画面の左下に小さく配され、その官能的なテーマを象徴する要素の一つとして機能していますが、主役はあくまで横たわる裸婦です。このような西洋の伝統の中で、猫は象徴的な意味合いを持つ補助的な存在として描かれることがほとんどでした。

対照的に、日本では古来より動物画が豊富に存在していました。仏教思想に根ざした「人と動物は同じ心を持つ」という考え方が浸透しており、絵画においても動物たちの生命や感情が慈しみを込めて表現されてきました。浮世絵や日本画には、愛らしく、時に神秘的な猫の姿が数多く描かれており、人々の生活に密着した存在として親しまれていました。

その象徴的な作品として、菱田春草の《黒猫》などが紹介されます。この日本画の傑作は、猫の持つ神秘性や生命力を、洗練された筆致と色彩で表現しており、西洋画とは異なる日本の動物観を明確に示しています。

この章では、西洋と日本のこうした対照的な動物観と絵画表現の歴史を踏まえることで、藤田嗣治が果たした役割の大きさが浮き彫りになります。藤田は、日本の伝統的な動物への眼差しと、西洋の油彩技法を融合させ、猫を単なる背景ではなく、画面の中心で輝く魅力的な主題へと昇華させたのです。彼の猫たちは、西洋の写実性と日本の線描の美しさを兼ね備え、両文化の間に新たな橋を架ける存在となりました。この章は、単に猫の絵を鑑賞するだけでなく、文化的な視点から絵画史を深く考察する機会を提供します。

第三章:「猫」から迫る、洋画家たちの魅力

この最終章では、藤田嗣治が洋画における猫の表現を確立したことによって、その後に続く日本の洋画家たちが猫というモチーフにいかに向き合い、多様な作品を生み出していったかを紹介します。藤田の開拓した道は、多くの画家たちに影響を与え、西洋とは異なる日本独自の「猫の絵画史」を形成していきました。

展示の冒頭では、藤田嗣治から直接的な影響を受けた画家たちの作品が紹介されます。彼らは藤田の乳白色の肌の表現や、猫のしなやかなフォルムの捉え方、あるいは猫を自身のアイデンティティの一部とする姿勢に触発され、それぞれが猫をモチーフとした制作に挑戦しました。しかし、彼らは単に藤田の模倣に留まらず、西洋の絵画技法と日本の伝統的な感性を融合させながら、独自の猫表現を模索していきました。

具体的な例として、流行歌に着想を得てハイカラな猫を描いた木村荘八の作品が挙げられます。木村の猫たちは、当時のモダンな風俗や文化を背景に、洒落た雰囲気と愛嬌を兼ね備え、見る者に時代の息吹を感じさせます。また、中原實の《猫の子》に代表されるような、前衛的な画風の中に意外なほど愛くるしい子猫を描き出した作品も紹介されます。これらの作品は、洋画の多様なスタイルの中で猫がどのように表現されうるかを示しています。

さらに、猪熊弦一郎の猫作品群は、この章の大きな見どころの一つです。猪熊は1950年代に猫の絵に集中的に取り組み、大胆な構図と色彩、そして抽象化されたフォルムで、猫の持つ本質的な魅力を表現しました。本展では、最大級の油絵から、ユニークな猫がびっしりと描かれたスケッチブックの一葉まで、猪熊による猫の傑作15点が展示されます。彼の猫たちは、時にユーモラスに、時に哲学的に、猫という存在の奥深さを問いかけます。

他にも、長谷川潾二郎といった画家たちも、それぞれ異なる視点から猫を描いています。長谷川の猫は、静かで思索的な雰囲気を持ち、日常の中の猫の存在を深く見つめた作品が多く見られます。

この章では、これらの多種多様な猫の絵画を通して、日本の洋画家たちが西洋の伝統と日本の感性の間でどのように葛藤し、あるいは融合させながら、猫という普遍的なモチーフから新たな芸術表現を見出していったかを辿ります。猫という親しみやすい存在が、洋画家たちの個性を映し出し、それぞれの芸術哲学を語る重要な鍵となっていることが理解できるでしょう。また、画家たちの猫に対する愛情や観察眼が、作品の隅々から伝わってくることでしょう。


3:全体のまとめ、結びの文章

府中市美術館で開催される「フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫」展は、一人の画家・藤田嗣治が洋画の世界で「猫」という主題を確立し、その後の日本の洋画に与えた大きな影響を、多角的な視点から紐解く貴重な機会を提供します。藤田嗣治が描いた猫たちの魅力を深く堪能できるだけでなく、西洋と日本における猫の絵画史の比較、そして藤田以降の日本の洋画家たちによる個性豊かな猫の表現の広がりを体験できます。

本展は、藤田嗣治の生涯にわたる猫への愛情と、彼が芸術家として追求した表現の軌跡を辿る旅であると同時に、日本の近代洋画において猫がどのように独自の地位を築いていったかを知るための重要な展覧会です。単に絵画としての猫の美しさだけでなく、猫という存在が画家たちの創作意欲を刺激し、文化や時代の精神を映し出す鏡であったことを、数々の傑作が物語ります。

会場では、藤田嗣治の代表的な猫作品から、西洋絵画や日本画の先行例、そして彼に影響を受けた日本の洋画家たちの作品まで、26人の作家による83点の作品が展示されます。 期間中には一部作品の展示替えも行われるため、複数回訪れることで新たな発見があるかもしれません。 藤田嗣治と猫たちの織りなす奥深い物語、そして近代洋画における「猫」という愛すべきモチーフの歴史を、この機会にぜひ府中市美術館でご堪能ください。

展示会情報

会場
府中市美術館
開催期間
2025.04.19 — 2025.06.15