猪熊弦一郎
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に所蔵されている猪熊弦一郎の作品「不思議なる会合」は、1990年(平成2年)にキャンバスにアクリル絵具を用いて制作された一点です。この作品は、画家・猪熊弦一郎(1902-1993)がその長い画業の晩年に到達した、具象と抽象の境界を超えた独自の表現世界を象徴する作品として位置づけられます。
猪熊弦一郎は、70年にも及ぶ画業を通じて、一貫して「美」の表現を追求し続けました。戦前のパリ留学でアンリ・マティスに師事し、戦後にはニューヨークやハワイを拠点に国際的に活動するなど、その画風は時代や環境の変化を吸収し、常に新しい表現へと挑戦することで変遷を遂げました。特に晩年、80歳を過ぎてからの作品群は、具象と抽象の区別なく、あらゆる形を「面白く美しいバランス」で構成しようとする独自の思想が顕著に表れています。
「不思議なる会合」は、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館する前年の1990年に制作されました。この時期の猪熊は、「俺は俺なりの一つの画面の上で夢をならべているだけ」と述べたように、既成概念にとらわれず、画家自身の内なる「夢」や「秩序」に基づき、多様な形を画面上に共存させることを意図していました。作品に表れる形は、丸や四角といった幾何学的なものから、顔や鳥のような具体的な生物の姿、さらには何とも形容しがたい不定形なものまで多岐にわたり、それらが画面上で調和を保ちながら「会合」しているかのように配置されています。この作品は、猪熊が長年の画業で培った「見る力」と、形への飽くなき探求心、そして「美はどこにでもある」という彼の哲学の結晶と言えるでしょう。
本作は、キャンバスを支持体とし、アクリル絵具が主要な画材として使用されています。アクリル絵具は速乾性があり、重ね塗りや混色が容易であるため、猪熊が晩年に追求した、自由で流動的な形態の表現に適していました。色彩は鮮やかでありながらも、互いの存在を引き立て合うように計算され、画面全体に軽やかさと奥行きを与えています。具体的な技法に関する詳細な記述は限られていますが、この時期の作品に見られる、形の輪郭を強調したり、色面を大胆に配したりする表現は、「不思議なる会合」にも共通する特徴であると考えられます。
「不思議なる会合」というタイトルが示すように、この作品は、異なる要素が画面上で出会い、新たな意味や関係性を生み出す様を描いています。猪熊は、具象と抽象を対立するものとして捉えるのではなく、どちらも「形」として等価に扱い、それらを自身の「秩序」の中で配置することで、独自の世界観を構築しました。鑑賞者には、それぞれの形の意味を特定するのではなく、画面全体のバランスや色彩の響き合い、そして形と形が織りなす「不思議な」調和を感じ取ることが促されます。これは、「心の窓を開くことで新しい美しさが見えるようになる」という猪熊の言葉にも通じる、鑑賞者自身の感性を刺激する作品と言えます。
「不思議なる会合」は、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に収蔵されていることから、猪熊の晩年の代表的な作品の一つとしてその芸術的価値が認められています。この作品は、彼の探求の最終段階における到達点を示しており、その自由な表現は、後の世代のアーティストや鑑賞者に対し、既存の枠にとらわれない美術の可能性を示唆するものとなっています。猪熊の作品は、多くの建築家との協働やデザインの仕事など、多方面にわたる活動とともに、日本の現代美術史において重要な足跡を残しました。特に、具象と抽象を融合させた独自のスタイルは、彼の画業を評価する上で欠かせない要素であり、「不思議なる会合」はその豊かな結実を示しています。