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猫の歌

猪熊弦一郎

猪熊弦一郎《猫の歌》にみる、愛猫家画家のまなざし

「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて展示される猪熊弦一郎の作品《猫の歌》は、1989年(平成元)に制作された、紙にアクリル、鉛筆、色鉛筆を用いた一作です。本作品は、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に所蔵されています。

制作背景と意図 洋画家、猪熊弦一郎は、無類の猫好きとして知られ、多い時には一度に12匹もの猫を飼っていた時期もありました。彼は猫を単なるペットとしてではなく、家族や仲間として深く愛し、その生活の中心に猫がいました。こうした愛猫との暮らしが、彼の作品に数多くの猫の姿をもたらす源泉となりました。猪熊は、猫の姿を写実的に捉えるだけでなく、シンプルな線描やデフォルメされた油彩画など、多様な表現で描き続けました。猫を描く際に写生はせず、頭の中に猫の生態や特徴、ポーズが深く刻み込まれていたため、自由に描くことができたとされています。

技法と素材 本作《猫の歌》は、紙にアクリル絵具、鉛筆、色鉛筆という複合的な素材で制作されています。猪熊の猫を描く技法は多岐にわたりましたが、紙に描かれた作品には、彼の猫に対する親密な眼差しと、軽やかで自由な筆致が表れることが多いです。彼の画風は具象から抽象へと変化していきましたが、猫の絵もその変化に合わせて多様な姿を見せました。こうした作品からは、モチーフとしての猫に対する客観的な視点と、友としての猫に対する敬愛の念が響き合う、猪熊ならではのユニークな表現が読み取れます。

作品の意味 猪熊にとって猫は、単なるモチーフを超えた存在でした。彼の作品に描かれる猫たちは、人間のそばに寄り添い、あるいは独立した存在として、時に人間以上の存在感を放ちます。《猫の歌》もまた、1989年の制作であり、画家の晩年に近い時期の作品です。この頃の作品には、抽象化された形態の中に猫の愛らしい姿が残されていることが多く、猫という存在への深い愛情がうかがえます。彼の猫の絵は、現代人がスマートフォンで猫の写真を撮る行為にも似た、日常の愛おしい瞬間を捉える試みでもあったのかもしれません。

評価と影響 猪熊弦一郎の猫を主題とした作品群は、広く一般に親しまれ、彼の展覧会には多くの猫好きが訪れるなど、高い人気を集めてきました。彼は、藤田嗣治と並び、日本の洋画界における「猫の画家」として重要な位置を占めています。今回展示される「没後55年 藤田嗣治と猫展」においても、猪熊の猫の絵は、藤田の作品とともに日本の洋画における猫の絵画史を辿る上で不可欠なものとして紹介されています。猪熊のモダンな猫の絵は、藤田以降の猫の絵画に大きな展開をもたらしたと評価されており、本展では彼の傑作15点が一堂に会する予定です。これらの作品は、猫という身近な存在を通じて、猪熊弦一郎という画家の奥深い世界と、その画業が日本のアートシーンに与えた影響を感じさせます。