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子猫の散歩

稲垣知雄

「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて展示される稲垣知雄の木版画「子猫の散歩」は、1975年(昭和50年)に制作された作品です。紙を素材に木版画の技法が用いられ、現在は藤沢市が所蔵する招き猫亭コレクションに収蔵されています。

背景・経緯・意図

版画家、稲垣知雄は、大正から昭和にかけて日本の版画界を牽引した主要な作家の一人です。彼は恩地孝四郎や平塚運一といった版画界の大家に師事し、その技術と精神を学びました。 稲垣の制作活動において特筆すべきは、生涯にわたり「猫」を主要なモチーフとして描き続けたことです。 その作品群には、「歩く猫」や「猫の化粧」といった代表作が含まれ、猫に対する深い愛情と洞察が込められています。 「子猫の散歩」が制作された1975年は、稲垣が70代半ばにあたり、創作活動の円熟期に到達していた時期にあたります。本展は、藤田嗣治をはじめとする多くの画家が猫を主題とした作品を手がけた文脈の中で、稲垣知雄の猫に対する独自の視点と表現を提示するものです。

技法と素材

この作品は「紙」を支持体とし、「木版」を用いた多色摺りの木版画として制作されています。木版画は、版木と呼ばれる木材に図案を彫刻し、その版木にインクや絵具を塗布して紙に転写する日本の伝統的な版画技法です。複数の色を使用する場合、通常は色ごとに異なる版木を彫り、それらを重ねて摺ることで豊かな色彩表現を実現します。稲垣知雄の木版画は、力強い線描と、時に抽象的ながらも情感豊かな色彩の組み合わせが特徴であり、猫の毛並みや動き、そしてその場の雰囲気を巧みに表現しています。

作品の持つ意味

「子猫の散歩」というタイトルは、日常の中に潜む何気ない一コマを切り取ったものです。しかし、稲垣が描く猫たちは単なる愛らしい存在に留まらず、どこか神秘的で、あるいは人間的な感情を宿しているかのような表情を見せることがあります。 本作における子猫の姿は、生命の無垢な輝きや、まだ見ぬ世界への好奇心、そして自由な精神を象徴していると解釈できるでしょう。見る者は、画面の中で軽やかに歩む子猫の姿に、穏やかな時間や生命の息吹を感じ取ることができます。

評価と影響

稲垣知雄は、国内の展覧会で活躍しただけでなく、東京国際版画展やスイス・ルガノ国際版画展といった国際的な舞台にも作品を出品し、国内外で高い評価を受けました。 また、国際版画協会の創立メンバーの一人として、日本の版画芸術の発展と国際的な交流にも貢献しました。 彼の猫を主題とした作品は、多くの美術愛好家から愛され、稲垣の芸術家としての個性を確立する重要な要素となっています。本作が藤沢市の招き猫亭コレクションに収蔵され、今回の「没後55年 藤田嗣治と猫展」に展示されることは、稲垣知雄の猫作品が美術史的にも高く評価され、現在においてもその魅力が再認識されている証と言えるでしょう。