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吊された猫

朝倉文夫

朝倉文夫作《吊された猫》:近代彫刻における写実表現の探求

現在開催中の「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて展示されている彫刻家、朝倉文夫の作品《吊された猫》は、1909年(明治42年)に制作されたブロンズ像です。高さ51.5cmという比較的小ぶりな作品でありながら、日本の近代彫刻史において重要な意味を持つ作品として知られています。

制作背景と意図

朝倉文夫は無類の愛猫家として知られ、生涯にわたり多数の猫をモチーフとした作品を制作しました。一時は自宅で19匹もの猫を飼っていたとも伝えられています。この《吊された猫》は、朝倉の猫作品の中でも初期に位置する作品の一つで、日常の一場面を切り取ったものです。猫の首をつまみ上げて持ち上げる瞬間を捉え、その力の入った人間の腕と、ぶらりと弛緩した猫の体の対比が鮮やかに表現されています。猫の後足にはわずかな緊張感が見られ、若き日の朝倉がすでに有していた鋭い観察眼と卓越した表現力が示されています。

当時の朝倉は、彫刻家としての表現方法を模索する中で「煩悶」を抱えていたとされ、本作はそのような内面の葛藤も反映された重要な作品と位置づけられています。翌年に発表される代表作《墓守》に至る、客観的な自然主義的写実への転換点を示す作品としても評価されています。

技法と素材

素材にはブロンズが用いられています。彫刻の制作過程では、まず粘土で原型を作り、次に石膏で型を取り、最終的にブロンズを流し込んで鋳造するという、多くの複雑な工程を経て完成します。

《吊された猫》では、ブロンズという素材の特性を活かし、持ち上げられた猫の首筋をつまむ腕の力強さと、それに対照的な猫の体の脱力感が巧みに表現されています。また、猫の表情にはどこかもの言いたげな様子が見て取れ、鑑賞者に親しみを感じさせます。

意味と評価

本作は、1909年の第3回文部省美術展覧会(文展)に出品されました。当時の美術評論家であり、自身も彫刻家であった高村光太郎は、この作品を「彫刻を彫刻として扱ったところに愉快な所がある」と評しつつも、「猫が面白くて猫を作ったのだと思われる」と、主題そのものへの関心に主眼が置かれていると指摘する、やや厳しい批評を残しています。しかし、この高村の言葉が、朝倉が生涯にわたって猫の作品を作り続けるきっかけの一つとなったとも考えられています。

《吊された猫》は、日常的な主題を写実的に捉え、その一瞬の生命感をブロンズで表現した点で、朝倉文夫の初期の傑作として位置づけられます。日本の近代彫刻界を牽引し、「東洋のロダン」と称された朝倉が、対象をありのままに捉える「自然主義的写実」を確立していく上で、重要な礎となった作品と言えるでしょう。