猪熊弦一郎
本作品「猫と食卓」は、日本の近代美術を代表する洋画家、猪熊弦一郎が1952年(昭和27年)に制作した油彩画です。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に所蔵されています。
猪熊弦一郎は、一度に十数匹の猫を飼うほどの無類の猫好きとして知られていました。猫は彼の私生活においてだけでなく、作品の重要なモチーフとしても深く関わっています。第二次世界大戦後、田園調布で本格的に多頭飼いを始めた猪熊は、「猫は一匹、二匹飼うよりも、沢山飼つて見る方が其習性が解つて面白く、一つ一つを特に可愛がらなくとも、猫同志で結構楽しく生活して居て、見て居ても、実に美しい」と語るほど、猫たちの生態を深く観察し、その魅力に魅せられていました。
彼は、戦後の日本における生活と、猫たちとの親密な関係を作品に昇華させました。この「猫と食卓」は、人間の食卓に猫たちが上がり、餌を食べることを許すという、当時の社会通念から見れば「斬新」な光景を描いており、猪熊の「猫のパラダイス」と称される彼の生活世界を最も的確に表現した作品の一つとされています。そこには、単なる愛玩動物としてではなく、画家にとって深く愛すべきパートナーとしての猫への敬愛の念が込められています。また、アンリ・マティスからの「お前の絵は上手すぎる」という言葉を受け、独自の表現を追求した猪熊は、「猫の形と色を今までの人のやらないやり方で描いてみたい」という意図を持って制作に挑みました。
本作はキャンバスに油彩で描かれています。猪熊の猫の作品は、写実的なスケッチから、シンプルな線描、デフォルメされた油彩画まで多岐にわたる表現技法が特徴です。彼はモチーフが具象であれ抽象であれ、絵画を形と色のバランスによって構成する姿勢を貫きました。特に1950年代前半、猪熊は幾何学的な形を用いたり、一筆書きのような単純な線で囲んだりして猫を描き、猫を絵画の一要素として取り込む工夫を精力的に行っています。この作品も、その試みの一環として、猫の形態を大胆にデフォルメし、画面全体の構成美を追求しています。
「猫と食卓」は、画家と猫たちの豊かな共生関係を象徴しています。食卓という、通常は人間だけが食事をする空間に猫が自由に出入りし、食事を共にしている情景は、猪熊がいかに猫たちを家族の一員として愛し、尊重していたかを示しています。これは、人間と一定の距離を保ちつつ、悠々自適に生きる猫たちの姿が、猪熊にとって尽きることのない興味の対象であり、猫を描くことが彼にとって「呼吸することと同じくらい自然なことだった」という思想を反映しています。同時に、伝統的な慣習にとらわれない、彼のモダニズム精神と生活観が表現された作品とも言えます。
「猫と食卓」は、猪熊弦一郎の猫をテーマにした代表作の一つとして、彼の芸術活動において重要な位置を占めています。彼の作品は、アカデミックな美術界においても、絵画におけるモダニズムの実践者として高く評価されています。近年では、猫ブームの再燃とともに猪熊の猫作品に再び注目が集まり、「没後55年 藤田嗣治と猫展」のような企画展や、「猪熊弦一郎展 猫たち」といった個展でたびたび紹介され、多くの猫好きや美術愛好家を魅了しています。この作品は、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に所蔵され、彼の画業を語る上で欠かせない傑作として、その評価と影響力を確立しています.