稲垣知雄
没後55年 藤田嗣治と猫展 出品作品「歩く猫」
このたびご紹介する作品は、版画家・稲垣知雄による「歩く猫」です。本作品は、1953年(昭和28年)に制作され、紙と木版を用いた木版画として、現在府中市美術館に所蔵されています。
制作背景・経緯・意図 稲垣知雄は1902年に東京で生まれ、1924年に大倉高等商業学校を卒業後、恩地孝四郎と平塚運一に版画を学びました。1932年には日本創作版画協会会員となり、商業美術家としても活動し、美術教育にも携わりました。彼は生涯にわたり多くの作品を残しましたが、特に猫をモチーフにした作品群で知られています。稲垣は猫を「とても自由な感じがして、その可愛らしいしぐさには、とてもいやされる」と評しており、猫への深い愛情と観察眼がその制作意図の根底にあります。
技法と素材 「歩く猫」は、木版画という技法で制作されています。版木に彫刻刀で絵柄を彫り、紙にインクを転写することで完成する木版画は、稲垣が専門とした分野です。彼の猫の作品には、力強くも洗練された線と、大胆な構図が特徴として見られます。本作品においても、紙に木版で表現された猫の姿は、素材の持つ温かみと版画特有の表現力を感じさせます。
作品が持つ意味 稲垣知雄の猫の作品は、単なる写実的な描写に留まらず、猫が持つ独特の存在感や、見る者に安らぎを与えるその魅力を捉えています。彼が描く猫は、しばしば静謐でありながらも生命力に満ちた姿で表現され、観る者の想像力を喚起します。「歩く猫」というタイトルからは、日常の一場面を切り取ったかのような、飾らない猫の自然な姿が想起されます。この作品は、猫という身近な存在を通して、生活の中に潜む美しさや、生き物への慈しみを表現していると言えるでしょう。
評価と影響 稲垣知雄は、日本版画協会や国際版画協会の設立メンバーとしても日本の版画界に貢献し、後進の画家に大きな影響を与えました。彼の作品は、国内のみならず、東京国際版画展やスイス・ルガーノ国際版画ビエンナーレ展など、海外の展覧会にも度々出品され、国際的にも高い評価を受けました。特に「歩く猫」や「猫の化粧」(1955年)、「尾長猫」(1958年)などは、彼の代表作として広く知られています。今回の「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて展示されることは、猫をテーマにした美術史において、稲垣知雄の作品が確固たる地位を築いていることを示すものです。