中原實
東京都現代美術館が所蔵する中原實の油彩作品「猫の子」は、1929年(昭和4年)に制作されました。この作品は、画家・中原實の多岐にわたる活動と、大正末から昭和初期にかけての日本の洋画壇における動向を示すものとして注目されています。
中原實(なかはら みのる、1893-1990)は、歯科医師としての顔も持つ異色の洋画家です。日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)創設者である中原市五郎の子として東京に生まれました。彼は同校卒業後、ハーバード大学で歯学を学び、第一次世界大戦中にはフランス陸軍の歯科医を務めるという経歴を持っています。この欧州滞在中、彼はパリのアカデミー・グラン・ショミエールで油絵を学び、モディリアーニやゲオルグ・グロッスといった画家たちから影響を受けました。また、未来派、表現主義、ダダ、超現実主義といった当時の最先端の美術運動に触れ、ドイツの新即物主義や超現実主義の手法を学び、抽象画へと接近していきました。 帰国後の中原は、新興美術運動の主要な推進者の一人として活躍しました。彼は中川紀元らと共にアクション運動に参加し、その後「三科運動」を起こして「単位三科」を設立、アンデパンダン展を組織しました。また、私設のオルタナティブスペースである「画廊九段」を開設し、欧州新興美術展などを開催するなど、日本の美術界に新たな動向を紹介する拠点となりました。晩年には日本歯科医師会の会長を複数期務めるなど、医学と芸術の二つの分野で顕著な功績を残しています。
作品「猫の子」が制作された1929年は、中原實が「第一美術協会」の客員となるなど、日本の洋画壇で精力的に活動していた時期にあたります。彼の画風は前衛的であると評される一方で、本作では油彩の技法を用いてカンヴァスに、意外なほど愛らしい子猫が描かれています。写実的な描写は、絵画と写真を見間違えるほどの緻密さであったという逸話も残されています。この作品は縦33.5センチメートル、横53センチメートルの寸法で、東京都現代美術館に所蔵されており、2017年には中原泉氏より寄贈されました。
「猫の子」は、中原實の多様な表現の一側面を示す作品です。彼の作品は、モダニズムが花開く時代のフランスで培われた前衛的な感覚と、緻密な観察眼が融合していると評価されています。特にこの作品では、彼の前衛的な画風の中に、親しみやすいモチーフである子猫を配することで、見る者に独特の印象を与えています。
この作品は、「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて展示されることによって、その芸術的価値と歴史的意義が再評価されています。同展覧会は、「フジタからはじまる猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫」と題され、藤田嗣治以降、日本の多くの洋画家たちが猫を描くようになった背景を探るものです。中原實の「猫の子」は、洋画家たちの個性や時代背景を映し出す「鏡のような存在」として紹介されており、前衛画家が描いた「意外なほど愛くるしい子猫」として、日本の洋画における猫の絵の歴史の中で独自の光を放っています。西洋の芸術観と日本の動物観の間で、画家たちが猫というモチーフを通して新たな表現を模索した軌跡を示す重要な一点として位置づけられています。