藤田嗣治
没後55年 藤田嗣治と猫展に出品される藤田嗣治の作品「猫を抱く少女」についてご紹介します。
「猫を抱く少女」は、20世紀に国際的に活躍した日本人画家、藤田嗣治(レオナール・フジタ)によって1950年代に制作された油彩作品です。キャンバスに油絵具で描かれ、現在はH. N. コレクションに収蔵されています。本作品の制作年代については、1949年、1952年頃、1962年など複数の情報が見られますが、いずれも藤田が第二次世界大戦後にフランスへ再渡仏し、その独自の芸術を確立していった円熟期にあたります。
藤田嗣治は、1950年に再びパリへと拠点を移し、1955年にはフランス国籍を取得、さらに1959年にはカトリックの洗礼を受け、洗礼名レオナールを授かりました。この時期の作品には、聖母子像をはじめとする宗教画が多く描かれるようになり、世俗的なモチーフの中にも神聖な雰囲気や精神的な深みが込められるようになります。
「猫を抱く少女」に描かれた少女は、古風な小間使いのような衣装をまとい、藤田が描く多くの子どもたちと同様に想像上の存在であるとされています。マントルピースの前で穏やかに座る少女と、彼女に抱かれながらも視線の先を凝視し、少し驚いたような表情を見せる猫の姿は、静謐な室内に動的なアクセントを加えています。作品全体に漂う明るい光と、祭壇を思わせるマントルピースや光と影のアーチ状の表現は、この室内空間を神聖なものとして際立たせ、藤田のこの時期の精神性、特に信仰への傾倒が反映されていると解釈できます。少女のまっすぐな眼差しと固く結ばれた口元からは、子どもらしい愛らしさの中にも静かな威厳が感じられ、母性愛や家族の絆といった普遍的なテーマが、独自の美学で表現されています。
また、藤田は生涯にわたり猫と女性を得意な画題とし、「私は猫を友達としている」と語るほど猫を深く愛していました。西洋絵画において脇役にとどまりがちだった猫を、藤田は裸婦像の傍らに描いたり、自画像に組み込んだりすることで、自身の代名詞ともいえる重要なモチーフへと昇華させました。猫は、激動の時代を生き抜いた藤田にとって、時にモデルとなり、時に温もりを分かち合う存在であり、その作品には猫への深い愛情と細やかな観察眼が息づいています。
この作品の特筆すべき点は、藤田嗣治の代名詞ともいえる「乳白色の肌」の表現です。油彩画でありながら、日本の伝統的な絵画技法を融合させた藤田独自の画風が確立されています。
「乳白色の肌」は、陶磁器のような透明感と温かみを持ち、その製法は生前、藤田によって秘密にされていました。近年の科学的な調査により、その秘密の一端が明らかになっています。下地には硫酸バリウムが用いられ、その上に炭酸カルシウムと鉛白(シルバーホワイト)を1対3の割合で混ぜた絵具が塗られていました。炭酸カルシウムが油と混ざるとわずかに黄色みを帯びるため、藤田はこれらの絵具の配合を調整して独特の乳白色を生み出しました。
さらに、画面の仕上げにはベビーパウダーに含まれる「タルク」が用いられていたことが判明しています。このタルクが油分を取り除き、半光沢で滑らかな絵肌を作り出すとともに、油性下地の上に水性の墨汁で細い輪郭線を描くことを可能にしました。藤田は面相筆(日本画に用いられる細筆)を愛用し、この繊細な描線で人物や猫の毛並みなどを緻密に描き出しています。
2023年の研究では、藤田が紫外線によって赤、緑、青に蛍光発光する3種類の白色顔料を意図的に使い分け、肌の質感を微妙に描き分けていた可能性が高いことが示唆されており、その技法の奥行きがさらに注目されています。
藤田嗣治は、その「乳白色の肌」を用いた裸婦像などで西洋画壇から絶賛され、「エコール・ド・パリの寵児」として国際的に高い評価を得ました。パブロ・ピカソをして「彼こそ真の天才」と言わしめたという逸話も残されています。
「猫を抱く少女」は、藤田の円熟期の代表作の一つと位置づけられています。この作品を含む藤田の猫をモチーフにした絵画は、その独自の表現により、日本の洋画における猫の絵の歴史に大きな影響を与えました。藤田の作品は、日本とフランスのみならず世界中の美術館に収蔵され、今なお多くの人々に愛され、高い評価と人気を誇っています。