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猫を抱く少女

藤田嗣治

没後55年 藤田嗣治と猫展に出品される、藤田嗣治の作品「猫を抱く少女」(1949年制作、紙、墨、彩色、H. N. コレクション)についてご紹介します。


作品「猫を抱く少女」

制作の背景・経緯・意図

藤田嗣治が「猫を抱く少女」を制作した1949年(昭和24年)は、彼の生涯における激動の時期にあたります。第二次世界大戦中、藤田は日本の陸軍美術協会理事長として戦争画の制作に従事しましたが、終戦後はその責任を問われ、日本画壇から厳しい批判にさらされました。この状況を受け、藤田は1949年3月に日本を離れ、アメリカを経て再びパリへと渡ることを決意します。

この渡米滞在中のニューヨークでは、精力的に個展を開催し、制作意欲を高めていたとされています。同時期に制作された作品には、戦争終結後の穏やかな情景や、擬人化された猫たちが豊かな表情を見せる「猫の教室」(1949年)のようなものも存在します。こうした作品からは、戦後の傷心の中で、無垢な子どもの姿を描くことで心の安寧を求めていた藤田の心情がうかがえます。

「猫を抱く少女」もまた、戦争という困難な時代を経て、新たな創作の道を模索していた藤田の内面を映し出していると考えられます。少女と猫というモチーフは、藤田が生涯にわたり繰り返し描いたテーマであり、心の拠り所や純粋さの象徴として描かれることが多かったとされています。

技法と素材

本作品は、紙に墨と彩色を用いて描かれています。藤田嗣治の作品は、その代名詞ともいえる「乳白色の肌」の表現で国際的な評価を得ました。この独特な技法は、西洋絵画の油彩技法と日本画の要素を融合させたものです。

藤田は、まず下地として硫酸バリウムを用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1対3の割合で混ぜた絵具を塗布しました。炭酸カルシウムが油と混ざるとわずかに黄色を帯びる特性を利用し、独自の乳白色を作り出していました。さらに、仕上げにベビーパウダー(タルク)を画面に塗布することで、表面の油分を取り除き、陶器のような半光沢で滑らかな質感を実現しました。

この滑らかな下地は、日本画で用いられる面相筆で墨の輪郭線を描くことを可能にしました。通常、油性下地の上に水性の墨汁で描くと滲んでしまいますが、タルクの働きによって墨が定着しやすくなり、細く繊細で、滲みのない墨線を描くことができました。この技法により、藤田は西洋絵画にはなかった、平面的ながらも奥行きを感じさせる独自の肌の質感と描線を表現することに成功しています。

「猫を抱く少女」においても、この乳白色を基調とした背景に、日本画の筆致を思わせる細くやわらかな墨の輪郭線、そして陰影と淡い彩色が施され、藤田独特の表現技法が用いられていることがうかがえます。

作品が持つ意味

藤田嗣治にとって、猫と少女は生涯にわたる重要なモチーフでした。猫は、単なるペットとしてではなく、彼の創造性を刺激する「友」であり、時には藤田自身を象徴する存在として作品に登場します。藤田は実際に複数の猫を飼い、その仕草や表情、毛並みの一本一本に至るまで緻密に観察し、描きました。

「猫を抱く少女」に描かれた少女像は、子どもらしい愛らしさを持ちながらも、正面を見据えるまっすぐな眼差しと固く結ばれた口元から、静かで毅然とした威厳を感じさせます。この少女は、藤田が描いた多くの子供たちと同様、現実のモデルではなく、想像上の存在であった可能性も指摘されています。

少女に抱かれた猫は、どこかぎょっとしたような表情を見せ、静寂な画面の中で動的なアクセントとなっており、少女の存在感を一層引き立てています。この作品は、戦争という混沌とした時代を経て、純粋無垢な存在への回帰や、心の平安を求める藤田の願いが込められていると解釈できます。

評価と影響

藤田嗣治の「乳白色の肌」は、1921年のサロン・ドートンヌに出品された裸婦像が「グラン・フォン・ブラン(素晴らしい白地)」と称賛され、彼を一躍「パリの寵児」へと押し上げました。その東洋と西洋を融合させた独自の技法は、当時のパリ画壇に大きな衝撃を与えました。

また、西洋絵画では人物が主役であり、動物が主題となることが少なかった中で、藤田が猫を繰り返し描いたことは、絵画における猫のモチーフの可能性を広げ、後の画家たちにも影響を与えました。

「猫を抱く少女」は、藤田の没後である1968年に東京と京都で開催された「藤田嗣治追悼展」において代表作の一つとして出品されており、彼の画業における重要な位置づけが示されています。藤田の作品は、没後も日本国内で再評価の機運が高まり、現在でも数多くの展覧会が開催されています。