藤田嗣治
岐阜県美術館に所蔵される藤田嗣治の油彩画《猫》(1949年)は、没後55年を迎える画家の「猫」への深い愛情と、彼独自の表現技法が凝縮された作品です。この作品は、藤田が日本画壇との軋轢の中で再びフランスへと旅立つ激動の時代に制作されており、その背景には画家の複雑な心境がうかがえます。
1949年という制作年は、藤田嗣治の生涯において重要な転換点にあたります。第二次世界大戦後、戦争画制作の責任を問われ、日本画壇から批判の矢面に立たされた藤田は、同年3月に日本を離れニューヨークへ渡り、翌1950年には長年の拠点であったパリへと戻りました。この《猫》は、日本を離れる直前、あるいはニューヨーク滞在中に描かれた可能性が高く、画家の精神的な動揺と、慣れ親しんだモチーフへの回帰が見て取れます。
藤田にとって猫は、単なる愛玩動物ではなく、生涯にわたる友人であり、また自身の分身ともいえる存在でした。困窮したパリでの生活の中で、時にモデルとなり、時に温もりを分かち合った猫たちは、藤田の作品において欠かせないモチーフとなります。猫は、彼の自画像にも繰り返し登場し、おかっぱ頭や丸眼鏡とともに、藤田嗣治のアイデンティティを象徴するアイコンとなりました。この《猫》もまた、画家の内面世界を映し出す重要な作品の一つであると言えるでしょう。
作品はキャンバスに油彩で描かれており、藤田嗣治の代名詞である「乳白色の肌」に代表される独自の油彩技法が用いられています。この技法は、陶磁器のような滑らかさと透明感を持ちながら、温かみを感じさせる独特な質感を絵画にもたらしました。
近年の科学的な調査により、その秘密の一部が明らかになっています。下地には硫酸バリウムが用いられ、その上に炭酸カルシウムと鉛白を混合した絵具が塗布されました。さらに、画面の表面にはベビーパウダーに含まれる「タルク」が塗布されていたことが判明しています。このタルクが、油性である油彩の下地に、通常は弾かれてしまう水性の墨(面相筆を用いた細い描線)を定着させることを可能にし、独特の半光沢で滑らかな絵肌を生み出しました。また、2023年の研究では、藤田が紫外線によって異なる蛍光発光をする3種類の白色顔料を意図的に使い分け、対象の質感や構造を繊細に描き分けていた可能性も指摘されています。
藤田嗣治の《猫》は、彼が西洋絵画の伝統に日本画の要素を持ち込んだ、東西融合の象徴でもあります。西洋絵画において動物は脇役であることが多かったのに対し、藤田は猫を主要な画題として昇華させ、その魅力を最大限に引き出しました。彼の描く猫は、しばしば人間のような感情や個性を持ち、見る者に深い共感を呼び起こします。
特に1949年という制作年の《猫》は、日本社会からの批判と訣別し、新たな芸術活動の場を求めて異国へ旅立つ画家の、孤独感と同時に、精神的な拠り所としての猫の存在の大きさを感じさせます。この作品は、彼の激動の人生において、変わることのない「猫」への愛と、独自の美意識を貫こうとする画家の強靭な精神を象徴していると言えるでしょう。
藤田嗣治の猫の絵は、生前から非常に高い人気を誇り、その愛らしい姿や独特の表現は多くの人々を魅了しました。彼は、乳白色の裸婦像とともに猫を繰り返し描き、1930年には詩と猫の絵を収めた版画本『猫の本』を出版するなど、猫をモチーフとした作品群は彼の重要なレパートリーとなりました。
藤田の猫の表現は、その後の日本の洋画界にも大きな影響を与えました。彼が西洋絵画の中で猫を主役として確立したことで、多くの日本の洋画家たちが猫を主題とした作品を制作するきっかけとなりました。現在も藤田嗣治の猫の作品は、国内外のオークションで高値で取引されており、その芸術的価値と人気は不動のものとなっています。岐阜県美術館に所蔵される《猫》も、藤田嗣治の生涯と芸術を語る上で欠かせない、象徴的な作品として高く評価されています.