藤田嗣治
「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて展示される藤田嗣治の作品《猫》は、1940年(昭和15年)に制作された油彩画であり、現在は東京国立近代美術館に収蔵されています。この作品は、画家が生涯にわたり深く愛し、描き続けた猫というモチーフが持つ多様な表情と、藤田独自の技法が融合した一例として、鑑賞者に強い印象を与えます。
藤田嗣治は、その画業の初期から晩年に至るまで、一貫して猫を重要な画題としてきました。特にパリでの困窮した生活の中で、時にモデルとして、また時に温もりを分かち合う存在として、道端で拾った猫たちと共に過ごした経験が、猫への深い愛情と観察眼を育んだと言われています。彼にとって猫は単なるペットではなく、友人であり、時には自身の分身とも呼べる存在でした。
この1940年制作の《猫》は、同年開催された第27回二科展に《争闘》というタイトルで出品されました。制作時期は、藤田が前年にパリに戻り、翌年5月に戦禍を避けて日本へ帰国するまでの間とされています。作品には、絡み合い、争う複数の猫がほぼ円形の構図の中に巧みに配置されており、その姿態は藤田が猫の習性や動きを熟知していたことを示しています。初期の猫の表現と比較すると、この時期の作品には、猫の内面に潜む野性的で、時に「悪魔的」ともとれる側面への画家の関心がうかがえ、やや誇張された、あるいは怪奇な印象を与える点も特徴です。藤田は、媚びるような穏やかさと、牙をむくような猛々しさという、猫が持つ二面性を、女性のそれと二重写しにして捉えていたとも言われています。
作品はキャンバスに油彩で描かれています。藤田嗣治の作品を特徴づける最大の要素の一つが、陶磁器のような光沢と温かみを持つ「乳白色の肌」と呼ばれる独特の地塗り技法です。この技法は、硫酸バリウムを下地に使用し、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1対3の割合で混ぜた絵具を油と練り合わせて塗布することで生み出されました。さらに画面の表面には「タルク」、いわゆるベビーパウダーが用いられ、これにより半光沢で滑らかな質感を実現しています。このタルクの働きは、油性下地の上に日本画の面相筆で引く墨の輪郭線が滲むことなく定着し、かつ筆の滑りを良くするという効果をもたらしました。生前、藤田はこの「乳白色」の秘密を固く守っていましたが、近年の科学的な調査によりその構成が明らかにされています。
《猫》においても、猫の毛並みや体の輪郭を描く際に、日本画の毛描きの技法が応用され、繊細かつ写実的な描写がなされています。このような西洋画材と日本画の技法の融合は、藤田がエコール・ド・パリの画家たちの中でも独自性を確立した要因の一つです。
藤田嗣治にとって猫は、単なるモチーフを超えた存在でした。彼の作品における猫は、おかっぱ頭やロイド眼鏡と並び、藤田自身の象徴的なアイコンとなっていきます。特に1920年代後半から1930年代にかけて出版された版画集『猫十態』や、イギリスの詩人マイケル・ジョセフの詩に藤田の猫の絵が添えられた『猫の本』は、藤田が「猫の画家」としてアメリカで知られるきっかけとなりました。
《猫》(争闘)に描かれた、動きと生命力に満ちた複数の猫たちは、当時の藤田の内面や、世界が戦火へと向かう時代の不安や混沌を象徴しているとも解釈できます。西洋美術において、猫が絵画の主要な主題となることは稀でしたが、藤田は猫を主要なモチーフへと昇華させ、その魅力を余すことなく表現しました。これは、日本の洋画家たちが猫を描く上での一つの起点となり、後続の画家たちに多大な影響を与えました。
藤田嗣治の《猫》は、単に愛らしい動物を描いた作品に留まらず、画家の内面、時代背景、そして東西の美術技法が交錯する中で生まれた、普遍的な生命の躍動と美を表現した傑作として、今日まで高く評価され続けています。