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猫裸婦

藤田嗣治

没後55年 藤田嗣治と猫展 より「猫裸婦」

本作品は、1932年(昭和7年)に制作された藤田嗣治の「猫裸婦(ねこらふ)」です。紙に墨と彩色で描かれたこの作品は、下関市立美術館に所蔵されており、「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて紹介されています。

制作背景と意図 藤田嗣治は1913年にフランス・パリへ渡り、異国の地で自身の表現を模索しました。当時のパリには多くの芸術家が集い、「エコール・ド・パリ」と呼ばれる潮流の中で、個性を確立することが求められていました。藤田はキュビスムなど西洋絵画の様々なスタイルを試した後、1920年代に入り、西洋の油彩画に日本の伝統的な描法を取り入れた独自のスタイルを確立し、パリで高く評価されます。 特に、陶器のような光沢と温かみを持つ「乳白色の肌」で描かれた裸婦像は、彼の代名詞となりました。この頃から、藤田は自身の作品に猫を頻繁に登場させるようになります。猫は単なるモチーフに留まらず、ときに画家自身の分身や、裸婦像に寄り添う存在として、藤田の作品に欠かせないアイコンとなっていきました。本作品「猫裸婦」が制作された1932年は、藤田が裸婦と猫の組み合わせを確立し、その表現を深めていた時期にあたります。

技法と素材 「猫裸婦」は、紙、墨、彩色という素材を用いています。藤田の作品で特に著名なのは、その秘密に包まれてきた「乳白色の肌」の技法です。この技法は、硫酸バリウムを下地に使用し、その上に炭酸カルシウムと鉛白を混合した絵具を塗布することで独特の質感を表現していました。さらに、ベビーパウダーなどに含まれる「タルク」を画面に施すことで、滑らかで半光沢のある絵肌を生み出しました。 このタルクの層は、油性の下地の上に水性の墨で繊細な輪郭線を描くことを可能にし、墨の定着と筆の運びを良くする効果がありました。藤田は日本画で用いられる面相筆を駆使し、油彩でありながら、浮世絵のような細く流れるような線描を実現しています。近年の科学的調査では、藤田が紫外線を当てた際に赤、緑、青に蛍光発光する3種類の白色顔料を意図的に使い分け、肌の質感の繊細な表現を追求していたことも明らかになっています。本作品においても、これらの技術が紙と墨、彩色という素材の中で、藤田独自の表現として活かされていると考えられます。

作品が持つ意味 藤田嗣治の裸婦像は、西洋美術の伝統的な裸婦表現とは一線を画し、透明感のある肌と東洋的な線描によって、普遍的な美しさを追求しました。そこに配された猫は、作品に物語性と奥行きを与えています。猫は、裸婦の無防備さを見守る番人のようでもあり、あるいは藤田が女性の姿に重ねていたかもしれない、しなやかさや気まぐれな独立心の象徴とも解釈できます。 「猫裸婦」における猫の存在は、単なる愛玩動物ではなく、人間の内面や感情の機微を映し出す鏡として機能していると言えるでしょう。この裸婦と猫の組み合わせは、西洋と東洋の文化、古典とモダンの融合という、藤田が生涯を通じて追求したテーマを象徴するものでした。

評価と影響 藤田嗣治の「乳白色の肌」の裸婦像は、パリで「乳白色の肌」「グラン・フォン・ブラン(素晴らしい白地)」と称賛され、彼をエコール・ド・パリを代表する画家の一人として不動の地位を築かせました。特に裸婦と猫を組み合わせた作品は、藤田のオリジナリティの象徴となり、国際的なオークションでも高額で取引されるなど、現代においても高い評価と人気を誇っています。 彼の独自技法と、西洋と日本の美意識を融合させた画風は、後世の画家たちにも大きな影響を与えました。藤田嗣治は、猫を愛し、その姿を自身の作品に昇華させることで、見る者に深い印象を与える唯一無二の世界を創り出し、美術史にその名を刻みました。