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アズバ(『猫の本』より)

藤田嗣治

藤田嗣治、愛猫家としての真髄を刻む『アズバ(『猫の本』より)』

軽井沢安東美術館で開催中の「没後55年 藤田嗣治と猫展」にて展示されている、藤田嗣治の作品『アズバ(『猫の本』より)』は、1930年(昭和5年)に制作された珠玉の一枚です。紙にコロタイプという技法で表現されたこの作品は、藤田嗣治の猫に対する深い愛情と、卓越したデッサン力を示しています。

制作背景と意図 この作品は、1930年にニューヨークのコビチ・フリード社から限定500部で出版された挿画本『猫の本』(Livre des chats)に収められた21匹の猫のうちの一匹「アズバ」を描いたものです。イギリスの詩人マイケル・ジョセフが、それぞれの猫に名前をつけ、散文形式の詩を添えて一冊の本にまとめました。 藤田嗣治は生涯にわたり猫を愛し、自身も猫を飼い、共に暮らし、日々その姿を観察していました。彼にとって猫は単なる伴侶ではなく、自身の作風を象徴する重要なモチーフであり、自画像にも繰り返し描き入れられるほど、藤田のアイデンティティの一部となっていきました。モデルがいない時には猫を描くこともあったと、藤田自身が語っています。軽井沢安東美術館のコレクションにおいても、猫の絵は蒐集の原点となっています。

技法と素材 『アズバ』は、コロタイプという精緻な版画技法を用いて制作されました。コロタイプはガラス版を用いた製版方法で、職人の繊細な技術と手間を要する印刷技法です。この技法により、現在の大量生産されるリトグラフでは得られない、味わい深い表現が可能となり、藤田の繊細な筆使いや毛並みの一本一本までが忠実に再現されています。使用されている素材は、フランスから輸入された手漉きのアルシュ紙であり、作品に上質な質感を与えています。

作品が持つ意味 『アズバ』に描かれた猫は、藤田嗣治の猫に対する深い愛情と、対象を捉える鋭い観察眼、そして確かなデッサン力を如実に示しています。作品に登場する猫たちはそれぞれに異なる表情や仕草を見せ、その生命感あふれる描写は見る者を魅了します。猫は藤田の作品世界において「乳白色の裸婦」と並ぶ重要なテーマであり、彼の芸術表現の根幹をなす存在でした。

評価と影響 『猫の本』は、その限定性と藤田嗣治による直筆サイン(奥付に記載)も相まって、美術市場において高い評価を受けています。この作品集は、藤田作品の愛好家はもちろんのこと、猫を愛する人々からも絶大な支持を集めています。 藤田嗣治が1920年代のパリで「乳白色の裸婦」の傍らに猫を描き始めたことは、日本の洋画における猫のモチーフの扱いに大きな影響を与えました。藤田以降、日本の洋画家たちは彼の表現から着想を得つつ、西洋とは異なる日本独自の猫の表現を模索していくことになります。藤田の猫たちは、その緻密な描写と愛らしい姿を通じて、今日に至るまで多くの人々に感動を与え続けています。近年も藤田嗣治の作品は再評価の動きが見られ、その国際的な評価は高まっています。