藤田嗣治
没後55年 藤田嗣治と猫展に出品される、藤田嗣治による作品《横たわる猫》は、1929年(昭和4年)に制作された銅版画連作『猫十態』からの一点です。紙にエッチング、ドライポイント、アクアチントなどの複数の技法を用いて制作されており、現在は藤沢市(招き猫亭コレクション)が所蔵しています。
藤田嗣治は生涯にわたり猫を愛し、その姿を数多く作品に残しました。特に1920年代後半から1930年代にかけては、裸婦像や少女像と並び、猫を主題とした作品群が国際的に高い評価を得ています。この《横たわる猫》を含む『猫十態』は、1929年頃にパリのアポロ社から100部限定で発行された版画連作であり、猫の生き生きとした10種類のポーズが描かれています。藤田は、日本の水墨画や東洋の紙・絹の質感にインスピレーションを受け、油彩画で「乳白色の肌」と称賛される独自の表現を確立しましたが、その繊細な描写力と観察眼は版画作品にも遺憾なく発揮されています。猫を単なるモチーフとしてではなく、友人であり、あるいは生活を共にする存在として捉え、その愛らしい姿や優雅な仕草を丹念に描き出すことで、見る者に幸福感や温もりを伝えることを意図していたと考えられます。
本作は、銅版画の複合的な技法を用いて制作されています。具体的には、エッチング、ドライポイント、アクアチントが併用されています。藤田は、自身の監修のもと、ルイ・マカールという印刷職人と協力し、「マカール法」と呼ばれるこれらの混合技法を駆使しました。この技法は、写真製版、エッチング、ドライポイント、アクアチントを組み合わせたもので、作品に豊かな質感と深みをもたらしています。
また、『猫十態』の多くの作品では、当時最高級とされた薄いシナ紙を西洋の紙に貼り合わせる「シナ・アップリケ」と呼ばれる技法が用いられており、これにより独特の風合いと繊細な表現が実現されています。
《横たわる猫》は、横たわる猫の姿を捉えた一点であり、藤田嗣治の猫への深い愛情と観察眼が凝縮されています。猫は藤田の作品において、しばしば自己の分身のように描かれたり、女性像や子どもたちと共に描かれることで、安らぎや親密さの象徴として登場します。この作品に見られる猫のしなやかな体のラインや柔らかな毛並みの表現は、藤田が油彩で確立した「乳白色の肌」の美学を版画においても追求した結果と言えるでしょう。 猫は、西洋絵画においては伝統的に脇役とされることが多かったテーマですが、藤田は猫を作品の主役に据えることで、その存在感を際立たせ、見る者の心を惹きつけました。
『猫十態』シリーズは、藤田嗣治の銅版画作品の中でも傑作とされ、国際的に高い評価を受けています。藤田自身が製版から仕上げまでを監修し、全作品に自筆サインを入れていることからも、彼がこのシリーズにかけた情熱と作品性の高さがうかがえます。 藤田の描く猫は、その独特の愛らしさとモダンさから絶大な人気を博し、彼の作品が美術市場で高値で取引される要因の一つとなっています。 また、藤田が西洋美術の伝統の中で猫を主要なモチーフとして取り上げたことは、日本における洋画家の間で猫の絵画に新たな潮流を生み出すきっかけとなり、後世の画家たちにも大きな影響を与えました。 《横たわる猫》は、藤田嗣治の動物画における代表作として、現在も多くの人々に愛され続けています。