菱田春草
明治期の日本画壇に革新をもたらした画家、菱田春草による《黒猫》は、1910年(明治43年)に制作された日本画の傑作です。本作は、その制作背景の偶然性、独特の技法、そして深い意味合いによって、今日まで多くの人々を魅了し続けています。
《黒猫》は、菱田春草が36歳で若くして亡くなる前年に描かれました。元々は、六曲一双の屏風絵《雨中美人》を制作する予定でしたが、モデルを務めるはずの妻が病に倒れ、また着物の色調が思うようにまとまらなかったため、制作を断念することになります。この計画変更の後、急遽近所の焼き芋屋から黒猫を借り受け、わずか5日間という短期間で本作を完成させました。この偶発的な経緯が、春草のこれまでの研究成果を凝縮させる結果となった可能性も指摘されています。
作品は絹に彩色を施した絹本着色で描かれています。春草は、輪郭線を用いずに色彩の濃淡やぼかしによって対象を描写する「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる新しい日本画の表現を追求しました。本作では、黒猫の柔らかな毛並みが墨のぼかしのみで繊細に表現されており、そのふわふわとした質感は見る者に触れてみたいと思わせるほどです。一方、猫が座る柏の幹や葉は、金泥や青緑を用いて平面的な装飾性を持って描かれています。特に柏の葉は、絵絹の裏側から顔料を塗る裏彩色の技法を用いることで、落ち着いた輝きを放っています。この写実的な猫の描写と装飾的な柏の木の対比が、作品に深みを与えています。
《黒猫》は、春草がそれまでに研究してきた表現技法を結集させた到達点を示す作品と評価されています。画面は、木の枝にうずくまり、じっとこちらを見つめる黒猫と、黄葉した柏の枝葉のみという極めてシンプルな構成です。背景を空白とすることで、黒猫の存在感が際立っており、これは春草の代表作《落葉》で試みられた表現の延長線上にあります。写実性と装飾性が高次元で融合したこの作品は、日本画における新しい表現の可能性を示しました。
《黒猫》は、1910年に開催された第4回文展に出品され、発表当時から写実と装飾が見事に一致した傑作として高い評価を受けました。その後、重要文化財に指定され、菱田春草の代表作の一つとして広く知られています。春草は、近代の美術家として最多の4点の作品が重要文化財に指定されています。
彼の師である岡倉天心は春草を「不熟の天才」と評し、盟友である横山大観も、自身が日本画の巨匠と呼ばれるたびに「春草君が生きていたら俺なんかよりずっと巧い」と語っていたといいます。菱田春草の短い生涯の中で生み出されたこの作品は、その革新的な表現と普遍的な魅力によって、後の芸術家たちに多大な影響をもたらし、現在でも多くの人々を惹きつけています。
「没後55年 藤田嗣治と猫展」のような展覧会では、洋画における猫の表現と比較しながら、日本画における猫の描写、特に菱田春草が《黒猫》で達成した写実と装飾の融合を鑑賞することができます。