テオフィル=アレクサンドル・スタンラン
本展で紹介するテオフィル=アレクサンドル・スタンランの作品「ヴァンジャンヌの牛乳」は、1894年に制作されたリトグラフのポスターです。スイスに生まれ、後にフランスに帰化した画家、版画家であるスタンランは、19世紀末から20世紀初頭のパリ、特にモンマルトルを拠点に活動し、アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人として知られています。
スタンランは1881年にパリへ移住し、モンマルトルの芸術家コミュニティに身を置きました。彼は社会主義者であり、労働者階級の人々や社会の周縁に生きる人々の生活を温かい眼差しで描き出すことを生涯のテーマとしました。彼の作品は、当時の抑圧に対する抵抗の道具としても機能しました。1881年に制定された「出版の自由に関する法律」によりポスターの掲示が自由化され、ポスター芸術が大きく発展した時代において、スタンランはリトグラフを用いた広告ポスターの分野で頭角を現します。
「ヴァンジャンヌの牛乳」は、「ヴァンジャンヌの殺菌牛乳」という商品の広告のために制作されました。 当時、牛乳は腐敗しやすかったため、フランスの細菌学者ルイ・パスツールが開発した低温殺菌法によって、安全な殺菌牛乳が市場に出回るようになりました。 このポスターは、子どもにも安心して飲ませられる、衛生的で美味しい牛乳のイメージを消費者に伝えることを意図していました。
この作品は、1894年に制作されたカラーリトグラフであり、紙を素材としています。 リトグラフは石版画とも呼ばれ、スタンランはこの技法において、特にクレヨンを用いたデッサンで熟練した技術を発揮しました。 印刷はシャルル・ヴェルノー社によって手掛けられました。 アール・ヌーヴォー様式の特徴である流れるような曲線と柔らかな色彩が用いられており、日本の浮世絵に影響を受けた大胆で装飾的なパターンも彼のポスターの特徴です。
「ヴァンジャンヌの牛乳」には、スタンランの実娘であるコレットが牛乳を飲む姿が描かれています。 少女の足元には3匹の猫たちが牛乳を期待して見上げており、これらの猫もスタンランが実際に飼っていた猫たちがモデルであると言われています。
この作品は、家庭的で幸福なひとときを表現しており、「最も優しい牛乳の時間」と評されることもあります。 無垢な少女と愛らしい猫たちの姿は、ヴァンジャンヌの牛乳の純粋さと安全性を象徴的に伝え、見る者に温かい印象を与えます。 スタンランは猫をこよなく愛し、多くの作品に猫が登場することから、「猫の画家」としても知られています。猫たちは彼の作品において、しばしば自由や社会の弱者を象徴するモチーフとしても描かれましたが、本作では家族の温かさや安らぎを深める役割を果たしています。
「ヴァンジャンヌの牛乳」は、スタンランの代表作の一つとして高く評価されており、同じく彼の有名なポスター「黒猫一座の巡業(Tournée du Chat Noir)」と並び称されます。 芸術と広告が見事に融合した商業ポスターの傑作として、アール・ヌーヴォー期のポスター芸術の最高傑作の一つとされています。 1897年には、優れたポスター芸術作品を収録したコレクターズ版「ポスターの巨匠たち(Les Maîtres de l'Affiche)」に選定され、その芸術的価値が広く認められました。
スタンランのポスターは、商業美術の芸術的価値を高め、現代のグラフィックデザインにも大きな影響を与えました。 彼の作品は当時の若きパブロ・ピカソにも感銘を与えたと言われており、現在でも多くの美術館に所蔵され、その魅力は色褪せることなく、さまざまなグッズにも展開され愛され続けています。