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静物とミミの横顔 Still Life with Profile of Mimi

メイエル・デ・ハーン Meijer de Haan

メイエル・デ・ハーン作《静物とミミの横顔》

作品の背景と経緯、意図 《静物とミミの横顔》は、オランダ出身の画家メイエル・デ・ハーンが1889年に制作した油彩画です。 デ・ハーンは、アムステルダムで裕福なユダヤ人家庭に生まれ、初期はアカデミックなスタイルでユダヤ人主題の作品を描いていましたが、代表作とされる『ウリエル・アコスタ』への評価が芳しくなかったことから、画業における転機を模索していました。

1888年、デ・ハーンはパリへと移り住み、画商であったテオ・ファン・ゴッホと親交を深めます。 テオはフィンセント・ファン・ゴッホの弟であり、この繋がりがデ・ハーンのその後の芸術活動に大きな影響を与えました。 1889年、デ・ハーンはブルターニュ地方へ旅し、ポン=タヴァンでポール・ゴーギャンと出会い、親密な関係を築きます。 彼はゴーギャンの指導を仰ぎ、ポン=タヴァン派の一員となりました。

1889年末から1890年にかけて、デ・ハーンはゴーギャンと共に、ブルターニュのル・プルデュという海辺の村に滞在し、そこで共同生活を送ります。 この時期、デ・ハーンは滞在していた宿「ビュヴェット・ド・ラ・プラージュ」の女主人、マリー・アンリと関係を持ち、絵画に描かれた「ミミ」は彼女の幼い娘です。 この作品は、デ・ハーンがゴーギャンとの交流を通じて新たな表現を模索し、個人的な関係性を作品に取り込んだ時期に制作されました。

技法と素材 この作品は油彩でカンヴァスに描かれています。 デ・ハーンは、ゴーギャンの影響を受け、それまでのレンブラントのような明暗のコントラストを強調するスタイルから、より印象派的な色彩と光の表現へと移行しました。

特に注目される技法として、手前に傾いた不安定なテーブルの視点でありながら、果物の皿がしっかりと置かれている「非論理的な遠近法」が挙げられます。 このような表現は、当時の多くの画家たちの間で人気があり、日本の浮世絵から着想を得たものとされています。 ポン=タヴァン派は、印象派や点描主義の技法を排し、「綜合主義(サンテティスム)」と呼ばれる、平坦な画面、大胆な色彩、明確な輪郭線を特徴とするスタイルを追求しました。 デ・ハーンもこの新しい様式を取り入れ、装飾的な効果や色彩、線による表現を重視しています。

作品が持つ意味 《静物とミミの横顔》は、単なる静物画に終わらず、画家の個人的な状況が色濃く反映されています。ミミの存在は、デ・ハーンがル・プルデュで送った生活と、マリー・アンリとの関係を象徴しています。

作品に見られる日本の浮世絵に影響を受けた遠近法は、伝統的な西洋絵画の写実主義からの脱却と、新たな芸術的探求の意志を示しています。 ポン=タヴァン派の芸術家たちは、自然主義に反抗し、色彩と線の装飾的な可能性を強調し、作品に精神的なアプローチを込めました。 この作品も、そのような当時の芸術運動の中で、デ・ハーン自身の感情や内面的な探求を静物と人物の組み合わせで表現しようとしたものと考えられます。

評価と影響 メイエル・デ・ハーンは生前はあまり評価されず、長い間、ゴーギャンの作品に描かれた人物としてのみ言及されることが多かった画家です。 しかし、近年になって、オルセー美術館やアムステルダムのユダヤ歴史博物館での展覧会などを通じて、彼の芸術家としての評価が見直され、ゴーギャンの最も才能ある弟子の一人として再認識されるようになりました。

《静物とミミの横顔》は、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に収蔵されており、その収蔵自体が作品の重要性とデ・ハーンの芸術的価値を示すものとなっています。 デ・ハーンが属したポン=タヴァン派は、ナビ派や後のフォーヴィスム、さらには抽象絵画へと繋がる重要な芸術運動の転換点に位置し、アンリ・マティスやアンドレ・ドランといった後世の芸術家たちにも大きな影響を与えました。 デ・ハーンがこの作品で示した綜合主義やジャポニスムへの傾倒は、これらの広範な芸術運動の一端を担うものでした。