フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」にて展示されているフィンセント・ファン・ゴッホの油彩作品、《木底の革靴》についてご紹介します。
フィンセント・ファン・ゴッホ 《木底の革靴》
制作背景と意図 この作品は、フィンセント・ファン・ゴッホが1889年秋、フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスで制作されました。ゴッホは1888年12月にポール・ゴーギャンとの「耳切り事件」を起こした後、自らサン=レミの療養所に入院し、約1年間をそこで過ごしました。この療養生活は1889年5月から1890年5月までの間であり、彼は精神的な苦悩を抱えながらも、この期間に約150点の絵画と多数の素描を制作し続けていました。
《木底の革靴》は、ゴッホが療養所を退院する時期に描かれたと考えられており、外の世界へ再び踏み出し、新鮮な空気を吸い、自然や人々を心ゆくまで見て、自由に絵を描きたいという彼の喜びと期待が込められていると解釈されています。この作品は、画家自身ではなく、彼を支え続けた「相棒の革靴」の肖像として捉えることもでき、絵筆に込められた力や興奮の息遣いが溢れ出すような、爆発的な喜びを表現していると言われています。
ゴッホは生涯にわたり「靴」をモチーフにした作品を複数手掛けており、パリ時代に5点、アルル時代に1点、そしてサン=レミ時代に本作を含む1点と、少なくとも7点の靴の絵を描いたことが知られています。これらの「靴」の絵は、画家の表現手法の変化や、独自の表現への過程を示す「画家としての自画像」と解釈されることもあります。また、農民の苦しい生活を象徴するもの、あるいはゴッホ自身と弟テオの関係を示すものといった多様な解釈がなされています。
技法と素材 本作は油彩でカンヴァスに描かれています。ゴッホの描く「靴」の作品群には、擦り切れた革やこびりついた泥、長年の使用による歪みなど、古びた靴の状態が荒々しくも丁寧に、そして的確に描写されています。筆触は粗く大胆でありながら、靴の表面の質感やディテールが鮮やかに表現され、その古びた様子を際立たせています。色彩においては、靴の底の橙色のような暖色と、背景や床の青色といった寒色が対比的に用いられることで、靴の存在感が高まり、作品に込められた感情を効果的に伝えています。
作品が持つ意味と評価 《木底の革靴》は、単なる静物画としての描写を超え、ゴッホが人生の困難な時期を乗り越え、再び創作活動への情熱を取り戻そうとする内面的な葛藤と希望を象徴しています。靴の朽ちた様子は、人生の終わりや困難を、そしてその中に宿る美しさは、ゴッホの感受性と美意識を表現しているとも言われます。
ゴッホの「靴」の作品は、その深遠な意味合いから、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーが1930年のアムステルダムでのゴッホ展でこのモチーフの絵を見て感銘を受け、彼の論文「芸術作品の根源」の中で「農夫の靴」として取り上げ、芸術の本質について論じたことでも知られています。
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」では、生前ほとんど作品が売れなかったゴッホの作品が、いかにして弟テオの妻ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲルやその息子フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホといった家族の尽力によって守られ、世界に広められ、現在の高い評価を得るに至ったかという背景も紹介されています。この作品は、ゴッホの晩年における精神状態と創作意欲、そして彼を支えた家族の物語を語る上で重要な一点として、鑑賞者に深い感動を与えています。