三代歌川豊国(歌川国貞) Utagawa Kunisada
皆様、本日は「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」にお越しいただき、誠にありがとうございます。本展では、フィンセント・ファン・ゴッホと浮世絵の深い関係を示す資料として、江戸時代後期の浮世絵師、三代歌川豊国(歌川国貞)による作品、「東海道名所風景 日本橋」をご紹介いたします。
本作品は、1863年(文久3年)に制作された「東海道名所風景」というシリーズの一つです。このシリーズは、江戸幕府第14代将軍徳川家茂が229年ぶりに京都へ上洛するという歴史的な出来事を記念して企画されました。徳川家光以来となる将軍の上洛は、当時の人々にとって一大ニュースであり、その様子を描いた浮世絵は「御上洛東海道」あるいは「行列東海道」とも呼ばれ、幕末のジャーナリズムとしての役割も果たしました。このシリーズは、歌川一門の15名もの絵師と25軒に及ぶ版元が共同で制作にあたり、梅素亭玄魚による目録を含め、総数160点以上にも及ぶ大規模なものとなりました。三代歌川豊国、すなわち歌川国貞は、この企画において中心的役割を担い、多くの作品を手掛けています。幕府の出版統制が残る中、将軍家茂の上洛を直接的に描くことを避け、「源頼朝の上洛」に仮託するなど、当時の社会情勢を反映した工夫が見られます。
「東海道名所風景 日本橋」は、「大判錦絵」という技法で制作されています。錦絵とは、多色摺り木版画のことで、複数の版木を用いて様々な色彩を表現する、江戸時代に発展した浮世絵の代表的な技法です。 具体的には、まず絵師が下絵を描き、次に彫師がその線画を下絵に忠実に版木に彫り出します。これを「主版(おもはん)」と呼び、輪郭線が表現されます。そして、色を付ける部分ごとに別の版木を彫る「色版(いろはん)」が作られます。最後に摺師が、和紙に主版と色版を一枚ずつ丁寧に摺り重ねることで、鮮やかな多色表現が実現されます。素材としては、耐久性に優れた和紙が使用され、植物や鉱物由来の顔料と墨が用いられています。この緻密な手作業によって、色彩豊かな作品が大量に生み出されました。
本作品は、日本の中心である江戸の「日本橋」を描いています。日本橋は慶長8年(1603年)に初めて架橋され、慶長9年(1604年)には五街道の起点と定められ、日本の物流、商業の中心地として発展しました。江戸時代には数多くの浮世絵に描かれ、交通の要衝であると同時に、江戸城や富士山を背景に描かれることも多く、日本を代表する名所として認識されていました。 歌川国貞は、この象徴的な日本橋の風景に、将軍上洛という時代の大きな出来事を重ね合わせ、当時の人々の関心や熱気を映し出そうとしました。単なる風景描写にとどまらず、将軍の行列を思わせる人々の往来や賑わいを描くことで、幕末という激動の時代における世相を表現しているとも解釈できます。
歌川国貞(三代歌川豊国)は、役者絵や美人画で特に評価が高く、その生涯で1万点以上の作品を手掛けたと言われる、浮世絵師の中でも最も多作な一人です。 しかし、風景画においても独創的な作品を残しており、本シリーズはその一例です。この「東海道名所風景」シリーズは、将軍上洛という時事的な題材を扱ったことで、当時の民衆に広く受け入れられ、大ヒットしました。 また、本作品をはじめとする浮世絵は、遠くヨーロッパにも渡り、フィンセント・ファン・ゴッホをはじめとする印象派の画家たちに大きな影響を与えました。ゴッホは500点以上の浮世絵を収集し、その大胆な構図や鮮やかな色彩、平面的な表現から強い刺激を受け、自身の作品制作に取り入れたことが知られています。 このように、「東海道名所風景 日本橋」は、江戸時代の文化と社会を伝える貴重な歴史的資料であると同時に、海を越えて西洋美術にも影響を与えた、芸術的にも重要な作品であると言えるでしょう。