ウィリアム・スモール William Small
本作品は、スコットランド出身の著名なイラストレーターであるウィリアム・スモールが、1871年3月に制作した「パリの行列、『グラフィック』紙より」と題された木口木版・活版印刷作品です。
本作品が制作された1871年3月のパリは、普仏戦争とその後の激動期にありました。1870年9月から翌年1月にかけて、パリはプロイセン軍による132日間の包囲下に置かれました。この包囲期間中、パリ市民は深刻な燃料と食糧不足に苦しみ、街路樹を薪とし、馬、犬、猫、さらにはネズミまでも食料とする状況でした。
普仏戦争がフランスの敗北に終わり、臨時政府はプロイセンとの間でアルザス=ロレーヌの割譲と巨額の賠償金を伴う講和条約を受け入れました。これに対し、プロイセン軍の入城と講和に憤慨したパリ市民、特に国民衛兵は反発し、1871年3月18日に蜂起します。この蜂起により、世界初の労働者による自治政府であるパリ・コミューンが3月26日に樹立されました。
ウィリアム・スモールは、当時の主要なイギリスの挿絵入り新聞「グラフィック」紙で活躍したイラストレーターであり、この作品は、まさにこの歴史的な転換期において、包囲下の窮乏と、あるいはコミューン成立直後の混乱の中で食料や物資を求めるパリ市民の日常の困難を描写したものと推測されます。彼の意図は、遠く離れたイギリスの読者に対し、パリで進行中の出来事と市民生活の現実を視覚的に伝えることにあったと考えられます。
本作品は、木口木版と活版印刷という二つの主要な技術を用いて、紙に印刷されています。
**木口木版(ウッド・エングレービング)**は、18世紀末にイギリスで確立された木版画の技法です。 桜などの堅い広葉樹の幹を輪切りにした木口(木材の横断面)を版面として使用し、ビュランと呼ばれる鋭利な彫刻刀で微細な線や点を彫り込みます。 この技法は、細密な表現が可能であり、銅版画に匹敵する緻密さを持ちながらも、活字と同じ凸版印刷であるため、活字組版と同時に印刷できるという利点がありました。 19世紀には、書籍や雑誌の挿絵として広く普及しました。
**活版印刷(レタープレス・プリンティング)**は、活字と呼ばれる文字や記号が刻印された個々の金属片を組み合わせて版を作り、これにインキを付けて紙に圧力をかけることで印刷する技術です。 印刷したい部分が凸状になっている凸版印刷の一種であり、インキが紙に転写される際に生じる独特の凹凸感が特徴です。 活版印刷は、写真植字やDTPが普及する1970年代まで、文字印刷の主流でした。
この二つの技法を組み合わせることで、スモールは当時の新聞紙面において、テキストと視覚情報を一体として効果的に伝えることを可能にしました。
「パリの行列、『グラフィック』紙より」は、単なる日常風景の描写にとどまらず、1871年3月のパリが直面していた社会的・政治的緊張を象徴する作品です。飢餓と困窮の中で、市民が食料や物資を求めて列をなす姿は、普仏戦争による被害と、それに続くパリ・コミューンの勃発という歴史的な激動を背景にしています。 この作品は、同時代のイギリスの読者に対し、フランスの首都で起きていた出来事の人間的な側面、すなわち市民の苦難を伝える重要なドキュメントとしての意味合いを持ちます。
ウィリアム・スモールは、その時代で最も成功したイラストレーターの一人と評価されており、彼の作品はレスター、リバプール、ロンドン、マンチェスターなどの美術館に収蔵されています。
本作品を含む「グラフィック」紙のような当時の挿絵版画は、後の芸術家たちにも影響を与えました。特に、今回の展示会「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」の説明によると、フィンセント・ファン・ゴッホもイギリスの新聞の挿絵版画、とりわけ「グラフィック」紙の作品から影響を受け、自身の画風を確立する上で大きな役割を果たしたとされています。 これは、スモールのようなイラストレーターによるジャーナリスティックな作品が、単なる報道を超えて、後世の美術史における重要な画家に間接的ながらも影響を与えたことを示唆しています。