エミール・ベルナール Emile Bernard
「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」にて展示されるエミール・ベルナールによる「ベルナールの祖母の肖像」は、1887年に油彩、カンヴァスで描かれた作品です。この絵画は、ポスト印象派の動向を理解する上で重要な画家であるベルナールの初期の画業において、革新的な様式が形成されつつあった時期を示しています。
エミール・ベルナールは1864年にリールに生まれ、1878年にパリに出て美術を学び始めました。1884年からは歴史画家コルモンのアトリエに師事し、そこでアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックやフィンセント・ファン・ゴッホといった後に重要な画家となる面々と出会っています。しかし、アカデミックな教育に反発する独立精神の持ち主であったベルナールは、わずか2年でアトリエを追われます。
この追放後、ベルナールは独自の芸術表現を模索し始め、1887年頃から「総合主義(サンテティスム)」と呼ばれる新しい様式へと傾倒していきます。彼は自身の静物画作品の裏に「総合主義と単純化の最初の試み」と記しており、この時期が彼の芸術的探求における転換点であったことを示唆しています。この「ベルナールの祖母の肖像」も、まさにそのような実験的な意図のもと、写実的な描写を超えて、本質的な形態と色彩の表現を追求する過程で制作されたと考えられます。特に、本展がゴッホに焦点を当てていることから、ゴッホとベルナールが互いに書簡を交わし、作品の交換を通じて影響を与え合っていた深い交友関係の文脈でこの作品を捉えることができます。
本作は油彩、カンヴァスという伝統的な素材で描かれていますが、ベルナールがこの時期に開発し、後にポール・ゴーギャンと共に確立することになる「クロワゾニスム」と呼ばれる技法の萌芽が見られます。クロワゾニスムとは、中世の七宝(クロワゾネ)の装飾技法から着想を得たもので、対象を太い輪郭線で囲み、その内側を平坦で均質な色面で塗り分ける表現方法です。
これは、印象派が追求した筆触分割や色彩の視覚混合、光と大気の効果といった表現とは対照的に、形態の単純化と色彩そのものの効果を重視する試みでした。ベルナールは、対象の質感や立体感、固有色を否定し、色を最も重要な要素として捉えていました。この作品においても、人物の形態が簡略化され、明確な輪郭線と平坦な色面によって構成されていることが予想されます。
「ベルナールの祖母の肖像」は、単なる写実的な肖像画としてではなく、総合主義の理念である「現実の世界と人間の内面」「写実と抽象」を一つの画面に表現しようとするベルナール自身の内面的な視点が反映されていると考えられます。祖母という身近な人物を描くことで、画家の親密な感情や、対象の本質を捉えようとする深い洞察が、単純化された形態と色彩の中に込められていると解釈できます。表面的な描写を超え、人物の持つ象徴的な意味や精神性を引き出そうとする意図が込められていると言えるでしょう。
エミール・ベルナールは、ポール・ゴーギャンと共に総合主義の創始者の一人とされています。彼のクロワゾニスムは、ゴーギャンに大きな影響を与え、「説教のあとの幻影、ヤコブと天使の闘い」のような代表作の制作に決定的な動機を与えたと言われています。また、ナビ派の画家たちにも影響を与えました。
ベルナールの広範な交友関係は特筆すべきであり、ファン・ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンらとの間で交わされた膨大な書簡や美術評論は、当時の美術界の動向を研究する上で貴重な資料となっています。彼の画家としての評価は、ゴッホやゴーギャンほどの知名度はないものの、ポスト印象派から象徴主義へと繋がる近代絵画の展開において、極めて重要な役割を果たした画家として再評価が進んでいます。