オーディオガイド トップに戻る
0:00
0:00

雪中竹梅狗子図

円山応挙

「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて紹介される円山応挙の「雪中竹梅狗子図」は、江戸時代中期の画壇に革新をもたらした応挙の画業の一端を示す重要な作品です。本作品は明和7年(1770年)に制作された2幅の掛軸であり、山形美術館が所蔵する長谷川コレクションの一つとして知られています。

制作背景・経緯・意図

円山応挙(1733-1795)は、江戸時代中期から後期にかけて京都を中心に活動し、「円山派」の祖として日本画に新たな境地を開いた絵師です。応挙の画風は、徹底した写生に基づいた写実性を特徴とし、西洋画の遠近法や光と影の表現を巧みに取り入れることで、当時の日本画壇に大きな影響を与えました。

幼少期に貧しい農家に生まれた応挙は、若年期に眼鏡絵の制作に携わることで、西洋的な空間表現や遠近法を習得したとされています。その後、独自の画風を確立し、多くの寺社や大名、そして町人層からも支持を得て、京都画壇の中心的な存在となりました。

「雪中竹梅狗子図」に代表される「狗子図」(子犬の絵)は、応挙が得意とした画題の一つであり、当時から大変な人気を博しました。応挙は子犬を題材に数多くの作品を残しており、その背景には対象への深い愛情と、生命を生き生きと描こうとする写実への探求がありました。本作品が制作された明和7年(1770年)は、応挙が「応挙」を名乗り始めて数年後の時期にあたり、その画業が絶頂期に差し掛かる前の、充実した制作期に位置づけられます。

技法や素材

本作品は2幅の掛軸で構成されており、素材は紙本墨画であると考えられます。応挙は、徹底した写生に基づきながらも、単なる模写に留まらない独自の表現を追求しました。子犬の描写においては、ふわふわとした柔らかく温かい毛並みを繊細な筆致で表現し、まるで本物のぬいぐるみのような質感を伝えています。

特に注目されるのは、子犬の目の描写です。実物の犬の目は、敵に視線を悟られないよう黒目がちで白目がほとんど見えませんが、応挙はあえて白目の部分を描き入れることで、人間のような楽しさや不安感といった多様な感情を子犬の表情に与えています。これにより、見る者は子犬の心の動きまでも感じ取ることができると評価されています。また、子犬の体の構造をしっかりと捉えつつ、全体を丸く可愛らしいフォルムに収める工夫や、あらゆる角度から観察して描写する写実的なアプローチが用いられています。

作品の意味

「雪中竹梅狗子図」は、雪景色の中に竹、梅、そして子犬が描かれた作品です。これらのモチーフにはそれぞれ吉祥の意味が込められています。竹はまっすぐに伸び、冬でも青々としていることから長寿や生命力の象徴とされ、梅は厳しい寒さの中でいち早く花を咲かせることから、清らかさや逆境に耐える強さを表します。そして、犬は一度に多くの子を産むことから安産や子孫繁栄の象徴とされています。子犬が描かれることで、「子どもや家族の繁栄と長寿」という、より具体的な吉祥の意味が込められていると解釈できます。

また、応挙は子犬が前足を伸ばしてお尻を上げる「遊びに誘う仕草」や、互いの匂いを嗅ぎ合う様子、あるいは勢い余って雪の上につんのめってしまう姿など、子犬ならではの愛らしい瞬間を捉え、生き生きと描き出しています。これらの描写を通じて、応挙は純粋な「かわいらしさ」を造形化する手法を確立し、見る者に温かい共感を呼び起こすことを意図していたと考えられます。雪中という情景は、清らかな美しさとともに、寒さに負けずに遊び回る子犬たちの生命力を一層際立たせています。

評価や影響

円山応挙の写生を重視した画風は、当時の京都画壇に大きなインパクトを与え、多くの追随者を生み出しました。特に「狗子図」のような愛らしい動物画は、町人階級にも絶大な人気を博し、応挙を代表する画題の一つとなりました。応挙が描いた子犬は、「犬をキャラクター化した」とも評され、その写実的でありながらも感情豊かな表現は、日本美術における「かわいい」表現の礎を築いたとされています。

応挙の弟子たち、特に長沢蘆雪なども子犬をモチーフとした作品を手がけており、応挙の子犬が後世の画家たちに与えた影響の大きさを物語っています。応挙の画法は、その後「円山四条派」として近現代の日本画壇にまで受け継がれ、その影響は現代の日本画にも見られます。

「雪中竹梅狗子図」は、山形美術館が所蔵する長谷川コレクションの一部です。長谷川コレクションは、山形を代表する紅花商人であった長谷川家に伝世したもので、江戸から明治にかけての狩野派、文人画、円山四条派など、系統的に日本美術をたどることのできる質の高いコレクションとして知られています。本作品は、応挙が革新的な写生画の表現を通じて、生命の愛らしさと吉祥の願いをいかに見事に融合させたかを示す、貴重な遺産と言えるでしょう。