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白狐図

円山応挙

三井記念美術館の特別展「円山応挙―革新者から巨匠へ」にて展示される作品の中から、円山応挙が安永8年(1779年)に制作した「白狐図」をご紹介します。この作品は、応挙が46歳の時のもので、一幅の絹本墨画淡彩で描かれています。現在、個人が所蔵しています。

この作品が制作された背景には、江戸時代中期の京都画壇を席巻した円山応挙の革新的な画風があります。応挙は、「写生」を重視した写実的な表現で知られ、当時の鑑賞者には、その絵が「バーチャル・リアリティ」のように目の前に迫ってくる感覚を与えたと評されています。しかし、応挙の芸術は単なる写実にとどまらず、写生を基盤としながらも、そこからさらに踏み込んだ多面的な表現を追求していました。本作品「白狐図」もまた、応挙が写生のその先に何かを提示しようとした作品の一つと言えます。

「白狐図」には、日本の古来の信仰である稲荷神の使いとされ、幸福をもたらす「善狐」としての白狐が描かれています。この作品における白狐の身体は、白い絵具を塗るのではなく、絹地を塗り残すことで表現されており、一部の体毛にのみ細く胡粉が描き込まれるという精緻な技法が用いられています。口元に見える小さな牙状の歯や口先の赤み、そして金色の眼は、写実的な狐が架空の霊獣へと変容していく様を暗示しています。耳や四肢の爪にわずかに見られる赤みが、作品に艶めかしい印象を加えています。背景の秋らしい景色は、わずかに薄い細い線が数カ所に描かれることで、簡潔かつ象徴的に表現されています。落款には「安永己亥仲冬写 応挙」とあり、応挙の印章である「応挙之印」と「仲選」が押されています。応挙は緻密な線描にこだわり、自らの意志を実現するための筆を特注することもあったとされています。また、西洋の陰影法を取り入れつつも、影そのものではなく、立体感を出すための「陰」を巧みに用いることで、独自の奥行きを表現しました。

「白狐図」における狐の鋭い眼光は、単なる動物の眼ではなく、見る者によっては人間の眼にも見えると評されています。これは、単なる動物の描写を超え、霊的な存在としての意味合いを強く持たせた応挙の意図がうかがえます。幸福をもたらす善狐としての意味合いに加え、写実と架空の境界を曖昧にする表現は、鑑賞者に深い思索を促すものです。

円山応挙は、写生に基づく画風で京都画壇に革命をもたらし、多くの弟子を育てて円山四条派の祖となりました。その画風は、近代の日本画の源流の一つとして、後世の絵画に大きな影響を与え続けています。この「白狐図」も、応挙の写実技法と象徴的表現が融合した代表的な作品の一つとして、その革新性と芸術的深さが高く評価されています。