円山応挙
三井記念美術館で開催される「円山応挙―革新者から巨匠へ」展において、円山応挙筆「雪柳狗子図(ゆきやなぎくしず)」が展示されます。安永7年(1778年)に制作された本作は、応挙の画業が最も充実した時期に描かれた一幅であり、彼の代表的なモチーフである子犬たちの愛らしい姿が、写実的ながらも温かみのある筆致で表現されています。
円山応挙(1733-1795)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した絵師であり、近現代の京都画壇にまで続く「円山派」の祖として知られています。幼少期に京都で狩野派の画法を学びつつも、西洋画の遠近法を取り入れた「眼鏡絵」の制作を通して独自の写実的な画風を確立しました。応挙の画風は徹底した写生を基盤としており、常に写生帖を持ち歩き、動植物から風景、人物に至るまで、あらゆる対象を鋭い観察眼で捉えて描きました。
「雪柳狗子図」が描かれた安永7年(1778年)は、応挙が46歳を迎える時期にあたり、その画業において最も充実した時代とされています。応挙は特に子犬の絵を好んで描き、生涯で30匹以上もの愛らしい子犬の作品を残したと言われています。彼の描く子犬には、対象への克明な写生の中に深い愛情が込められており、単なる写実にとどまらず、「かわいい形」として表現するための試行錯誤を重ね、「応挙スタイルの子犬」を確立しました。本作もまた、そうした応挙の子犬に対する温かいまなざしと、可愛らしさを追求する意図が込められた作品であると言えます。
「雪柳狗子図」は絹本着色の1幅として制作されています。応挙は、写生に基づいて対象の特徴を鋭く捉え、その質感までをも描写する技量に優れていました。
本作に描かれる子犬たちの描写には、その特徴が顕著に表れています。少ない筆数(減筆法)で、ころんとして柔らかそうな子犬の体が見事に描き出されており、特に毛並みは、白や茶色の絵具を非常に細い筆で一本一本丁寧に描く「繊細な毛描き」によって、子犬のふわふわとした柔らかさや温かさまでもが伝わるように表現されています。また、応挙の子犬の目には、実物の犬では黒目がちで白目が見えにくいものとは異なり、しっかりと白目が描かれているという特徴があります。これは人間の目に近い表現であり、子犬の楽しさや不安感など、多彩な感情を見る者に伝えるための工夫であると考えられています。
構図においては、画面上部に広がる余白に対し、主題である子犬たちを下部に寄せて描くという、意表を突く配置が見られます。このような構図は、鑑賞者に子犬たちがまるで足元で戯れているかのような視覚効果を与えることを意図しているとも考えられます。
「雪柳狗子図」に描かれる子犬は、日本では古くから安産や子孫繁栄の象徴とされてきました。本作においては、雪の降る情景の中に、三匹の子犬たちが寄り添い、無邪気に戯れる姿が描かれており、その愛らしさが主題となっています。雪柳という組み合わせは、子犬たちの無垢な姿に季節の風情を添えています。
応挙の描く子犬の絵は、当時から非常に人気が高く、現代においても多くの人々に愛されています。本作品もまた、応挙のコレクションの中でも人気の作品の一つとされており、「コロコロと子犬が転がる様は、犬好きに限らず目尻が下がる」と評されるほど、見る者に癒やしと愛らしさをもたらします。
応挙が確立した写生を重視する画風は、当時の京都画壇を席巻し、多くの門人を育てました。彼の画風は「円山四条派」として近現代の京都画壇の源流となり、その影響は長く後世に受け継がれています。応挙の子犬の絵は、明治期の女学校の日本画教科書にもその影響が見られるほどであり、単なる写実を超えた「かわいい」表現の確立は、日本美術史における重要な革新であったと言えるでしょう。