円山応挙
2025年9月26日から三井記念美術館で開催される「円山応挙―革新者から巨匠へ」展において、江戸時代中・後期の絵師、円山応挙(まるやまおうきょ)による作品《藤に猿図》が展示されます。本作品は天明元年(1781年)に制作された一幅の掛軸であり、応挙の画業における写生主義と生命感あふれる描写の特徴をよく示すものです。
円山応挙は、18世紀後半の京都画壇において「写生」を重視する画風を確立し、円山四条派の祖として、その後の日本画に大きな影響を与えました。天明元年(1781年)は応挙が49歳の円熟期にあたり、すでに京都画壇の中心的な存在として多くの弟子を抱え、三井家をはじめとする有力なパトロンや寺社からの依頼を受けていました。
応挙の制作意図は、単に物の形を写し取るだけでなく、対象が持つ本質的な生命感や精神を表現することにありました。彼は常に写生帖を携え、身の回りの動植物を克明に観察し、その生態を画面に定着させようと努めました。猿の絵においても、応挙は猿の活き活きとした生態を捉え、その動きや関係性を写実的に描写しています。これは、猿の姿に人間の世の縮図を見るという、象徴的な意味合いも込められていたと考えられます。
《藤に猿図》の具体的な技法や素材に関する詳細な記録は限られていますが、応挙の他の作品と同様に、紙本または絹本に着色や水墨で描かれたものと推測されます。彼の画風は、西洋画の遠近法や陰影表現を研究しつつ、東洋画の伝統的な装飾性を融合させた独自の「写生画」様式を特徴としています。墨の濃淡やかすれを巧みに使い分け、対象の質感や立体感を表現するだけでなく、余白を効果的に用いることで空間の広がりや空気感を創出しました。猿の毛並みや藤の花のしなやかさも、入念な写生に基づいた筆致で描かれていると考えられます。
本作品に描かれる「藤」は、日本では古くから春から初夏にかけて咲く優美な花として親しまれ、そのしだれる姿は、豊かさや長寿、または高貴さの象徴とされてきました。一方、「猿」は、古来より神の使いや賢者の象徴、あるいは親子の情愛を表すものとして描かれてきました。
《藤に猿図》は、このような伝統的なモチーフを写生という革新的な手法で捉えることで、単なる写実を超えた、生命の息吹や自然の営みへの深い洞察を伝える作品となっています。藤の季節感と猿の生き生きとした姿の組み合わせは、移ろいゆく自然の中での生命の輝き、あるいは親密な関係性を暗示しているとも解釈できるでしょう。
円山応挙は、その写生を重視した画風によって、当時の京都画壇に革新をもたらしました。彼の作品は、従来の粉本主義(手本に基づく模倣)から脱却し、実物観察に基づく合理的な表現を追求した点が画期的でした。この新しい様式は瞬く間に人気を博し、応挙は当代随一の絵師として高い評価を受け、その作品は高額で取引されました。
《藤に猿図》も、応挙の円熟期に描かれた作品として、彼の代表的な画題の一つである「猿」と「花鳥」を組み合わせた秀作と考えられます。彼の写生主義は、長沢芦雪(ながさわろせつ)をはじめとする多くの門人へと受け継がれ、円山四条派として近代に至るまで日本画の主流の一つを形成しました。応挙の作品は、そのリアリズムと同時に、画面からあふれる詩情と生命感によって、後世の画家たちに多大な影響を与え続けています。