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雪中残柿猿図

円山応挙

円山応挙「雪中残柿猿図」:革新者が描く、冬の情景と生命の輝き

三井記念美術館で開催される「円山応挙―革新者から巨匠へ」展で紹介される円山応挙の《雪中残柿猿図》(安永3年(1774))は、江戸時代中期の京都画壇に新風を巻き起こした応挙の画業を示す一幅です。写生を重んじた応挙の革新的な筆致が、冬の厳しさの中に息づく生命の力強さを鮮やかに描き出しています。

制作背景と意図

円山応挙(1733-1795)は、従来の様式化された絵画表現に満足せず、徹底した写生に基づく絵画を追求したことで知られています。幼少期に金剛寺に小僧として入った後、京に上って玩具商「尾張屋」で眼鏡絵の制作に携わり、西洋の遠近法に触れる機会を得ました。これにより、彼は奥行きのある空間表現や写実的な描写に深く関心を持つようになります。安永3年(1774年)に制作された本作品もまた、応挙が写生の研鑽を重ね、「革新者」としての地位を確立していく時期の重要な作品の一つです。

応挙は常に写生帖を懐に忍ばせ、あらゆるもののスケッチに余念がなかったと伝えられています。この写生の重視こそが、当時の人々にとって「視覚を再現してくれる絵」あるいは「バーチャル・リアリティーのように、眼前に迫ってくる」とまで感じさせるような、生々しいリアリティを持つ画風を生み出しました。

《雪中残柿猿図》において応挙は、厳しい冬の雪景色の中に、わずかに残った柿の実を求める猿たちの姿を描いています。この情景は、自然界の摂理と、その中で懸命に生きる生命の営みを客観的に捉えようとする応挙の制作意図を反映していると考えられます。単なる自然描写に留まらず、その奥に潜む生命の尊厳を写実的な筆致で表現することを目指したのでしょう。

技法と素材

本作は一幅の掛け軸として描かれました。円山応挙のこの時期の作品には絹本着色(絹に彩色する技法)が多く見られ、繊細な描写と色彩表現が特徴です。猿の毛並みの柔らかさや、柿の瑞々しさ、そして雪の質感などが、卓越した筆致で表現されています。写生に基づく精緻な描写と、余白を活かした空間構成により、画面に奥行きと静謐な趣を与えています。

作品が持つ意味

「雪中残柿猿図」という画題は、東洋絵画において古くから親しまれてきたモチーフです。雪が降り積もる冬の情景は、厳しさや清らかさを象徴し、その中に残る柿の実は、豊穣や生命の持続、あるいは困難な状況下での希望や恵みを示唆します。また、猿は古来より様々な意味合いで描かれてきましたが、ここでは冬の厳しい環境の中で食料を探す姿を通じて、自然界における生命のたくましさや、本能的な生きる力を象徴していると解釈できます。

応挙は、これらの伝統的なモチーフを、自身の写実的な視点を通して再構築しました。単なる象徴的な意味に留まらず、鑑賞者がまるでその場に立ち会っているかのような臨場感をもって、冬の自然とそこに生きる猿たちの姿を感じ取れるように描かれているのが特徴です。

評価と影響

円山応挙の画風は、瞬く間に京都画壇を席巻し、当代随一の人気画家となりました。彼の写生に基づく革新的な表現は、当時の鑑賞者に強い衝撃を与え、多くの弟子が彼を慕い、近現代にまで続く「円山四条派」を形成しました。

《雪中残柿猿図》のような作品は、自然をありのままに捉えようとする応挙の姿勢と、それを高い技術で表現する画力が存分に示されています。応挙の作品は、その写実性ゆえに現代の私たちから見ると「ふつうの絵」と感じられるかもしれませんが、当時の人々にとっては、まさに「見たこともない」「革新的な」表現でした。

本作品は、応挙が「革新者」から「巨匠」へと歩んでいく過程で制作された重要作の一つであり、彼の築き上げた写生画の神髄を示すものとして、後世の日本画に多大な影響を与え続けました。現代の日本画の表現にも応挙の画法は受け継がれていると評されており、その芸術的価値と歴史的意義は計り知れません。