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双兎図

円山応挙

本記事では、三井記念美術館で開催される「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて紹介される円山応挙の作品「双兎図」について解説します。

円山応挙作「双兎図」

制作背景・経緯・意図

円山応挙(1733-1795)は、江戸時代中期から後期にかけて京都画壇を席巻した画家であり、円山四条派の祖として知られています。応挙は、従来の日本の絵画にはなかった「徹底した写生」を基盤とし、西洋画の遠近法や光と影の表現を取り入れることで、当時の鑑賞者に「ヴァーチャル・リアリティー」と評されるほどの革新的な表現をもたらしました。

本作品「双兎図」は、応挙が53歳であった天明5年(1785年)に制作された一幅の掛軸です。この時期は、応挙が画家としての地位を不動のものとし、数多くの名作を生み出していた円熟期にあたります。富裕な町人層からの支援を受け、応挙は写生に基づく平明で親しみやすい画風で幅広い支持を得ていました。特に動物画において、彼はその卓越した写生眼と表現力で多くの傑作を残しており、本作品もその一環として、自然の生き生きとした姿を描き出すことを意図して制作されたと考えられます。

技法や素材

「双兎図」は一幅の掛軸として、絹本着色で描かれたと推測されます。応挙の画風は、精緻な線と色彩によって対象を写実的に描写することを特徴とします。彼は、動物や植物をあらゆる角度から客観的に写生し、その観察に基づいた生命感あふれる表現を追求しました。

具体的な技法としては、「墨地下地技法」を基礎に、古来から伝わる「裏彩色技法」、染料系の絵具、さらには金属泥表現などを組み合わせることで、色彩の階調を広げ、重層的で複雑な表情を生み出しました。これにより、写実的でありながらも奥行きのある画面構成を可能にしています。例えば、同時期の作品である「木賊兎図」(天明6年)では、白雲母(きら)を蒔くことで月光のきらめきを表現し、「月下の兎」という魅力的な解釈を生む繊細な表現が試みられています。このような技法が、「双兎図」にも応用されている可能性も考えられます。

作品の意味

応挙の作品は、徹底した写生に基づきながらも、単なる模写に留まらず、対象が持つ本質的な生命力や、絵画空間における理想的な配置を深く考慮して制作されました。二羽の兎を描いた「双兎図」は、動物が持つ柔らかな毛並みや、しぐさ、そしてその存在感までもが写実的に捉えられているでしょう。

兎は古くから縁起の良い動物とされ、多産や豊穣、また月の象徴としても親しまれてきました。応挙はこれらの伝統的な題材を、写生という革新的なアプローチで描くことで、当時の人々に新たな視覚体験を提供しました。彼の絵は、鑑賞者がまるでその場にいるかのような臨場感を与え、絵のなかの世界を「眼前に迫る」ものとして体験させたのです。

評価や影響

円山応挙は、18世紀の京都画壇において「革新者」として登場し、瞬く間にその画風で人々の心を捉え、「巨匠」としての地位を確立しました。彼の写実的で親しみやすい画風は、三井家をはじめとする当時の富裕な町人層に深く愛され、多くの作品が制作されました。

「双兎図」のような動物画もまた、応挙の写生に基づく画力の高さを伝えるものであり、彼の門下には呉春、長沢芦雪、森徹山、駒井源琦など多くの優れた弟子が育ち、円山四条派として京都画壇の主流を形成しました。応挙が確立した写生と装飾性を融合させた画風は、後世の日本画にも大きな影響を与え、現代に至るまでその系譜は受け継がれています。本展「円山応挙―革新者から巨匠へ」は、まさに応挙がいかにして「革新者」から「巨匠」へと至ったのか、その軌跡を重要な作品を通して辿る貴重な機会となるでしょう.