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立葵・薄に鶺鴒図

円山応挙

円山応挙「立葵・薄に鶺鴒図」:革新から巨匠へ至る円熟の筆致

展示会「円山応挙―革新者から巨匠へ」にて紹介される、円山応挙の「立葵・薄に鶺鴒図」は、寛政5年(1793年)に制作された二幅の作品です。本作は、応挙がその画業の頂点を極め、円熟した筆致を見せる晩年期の花鳥画として位置づけられます。

制作背景・経緯・意図

円山応挙(1733-1795年)は、江戸時代中期から後期にかけて京都画壇に革新をもたらし、「円山派」の祖となった絵師です。彼は伝統的な日本画の様式に、西洋絵画の遠近法や写生(写実的な描写)の概念を融合させ、それまでの絵画表現を大きく変革しました。本作が制作された寛政5年(1793年)は、応挙が60歳を迎える頃であり、その2年後に没する最晩年の時期にあたります。この頃の応挙は、すでに「写生派の祖」として確固たる地位を築き、多くの弟子を抱える巨匠となっていました。

「立葵・薄に鶺鴒図」の制作意図は、写生に基づく対象の精確な描写と、伝統的な花鳥画が持つ装飾性や象徴性を融合させることにあったと考えられます。晩年の応挙は、対象の生命感を写し取るとともに、絵画空間全体に「一瞬の空気感」を表現する独自の境地に至っていました。

技法と素材

応挙の作品は、その革新的な技法によって知られています。「立葵・薄に鶺鴒図」においても、彼の特徴的な技法が用いられていると推測されます。具体的には、輪郭線を用いずに墨や絵の具の濃淡で対象を描き出す「付立て(つけたて)」や、墨の濃淡を段階的に変化させて立体感や奥行きを表現する「片ぼかし(かたぼかし)」といった没骨法が駆使されたでしょう。これらの技法により、立葵や薄の葉や茎、そして鶺鴒の羽毛や姿が、あたかも実物であるかのような生命力と柔らかさを持って描かれています。

素材としては、日本画の伝統に則り、紙本または絹本に着色や墨が用いられています。応挙は、墨の色を多様に使い分け、時には重ねて塗ることで、複雑な色彩の階調と重層的な表情を生み出しました。花鳥画では、その写実性の中に繊細な色彩表現や空気感の演出が試みられています。

作品の意味

「立葵・薄に鶺鴒図」に描かれる立葵は夏から秋にかけて咲く花であり、薄(すすき)は日本の秋を代表する植物です。そして、鶺鴒(せきれい)は水辺に生息し、尾を上下に振る姿が特徴的な鳥です。これらの組み合わせは、日本の豊かな自然、特に夏の終わりから秋にかけての季節の移ろいや、そこに息づく生命の様子を象徴的に表現していると考えられます。応挙の花鳥画は、単なる動植物の写しに留まらず、その生態や周囲の環境までをも含んだ、詩情豊かな世界観を提示しています。

評価と影響

円山応挙は、その写実的な描写力と、親しみやすい画風によって、当時の富裕な町人層から広く支持されました。彼の作品は、伝統的な画題を扱いながらも、写生の技術を基礎として装飾性豊かな画面を創造するという特色を持っています。

「立葵・薄に鶺鴒図」のような晩年期の作品は、応挙が確立した写生画の様式が成熟し、技巧の冴えと深みが加わったことを示しています。彼は「日本写生画の祖」として、その後の近代京都画壇にまで続く「円山・四条派」の源流を築き、多くの弟子たちに影響を与えました。応挙の作品は、見る者に直感的な感動を与える力があり、その革新性と芸術性の高さは、現代に至るまで高く評価され続けています。