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竹図漆絵印籠

円山応挙筆

三井記念美術館の開館20周年特別展「円山応挙―革新者から巨匠へ」に出品された、円山応挙筆の「竹図漆絵印籠」についてご紹介します。この作品は、江戸時代・18世紀に制作された一合の印籠で、三井記念美術館に所蔵されています。

制作の背景・経緯・意図 円山応挙(1733-1795)は、江戸時代中期の京都画壇において、写生を基盤とした革新的な画風を確立し、後の円山四条派の祖となる絵師です。応挙は10代後半から狩野派に学び、20代には眼鏡絵を手がけるなど、様々な表現を模索しました。30代頃には「応挙」を名乗り始め、豪商である三井家をはじめとするパトロンの支援を受けながら、数多くの屏風絵や障壁画を描き、その卓越した描写力で高い評価を得ました。

本作品「竹図漆絵印籠」は「円山応挙筆」とあることから、応挙がその図様を考案したと考えられます。印籠は江戸時代、主に武士の間で薬入れとして用いられ、のちには中身を入れずに、単なるお洒落(アクセサリー)として広く親しまれるようになりました。小型の容器に精緻な装飾を施す印籠細工は、当時の工芸の中でも特に特色ある分野であり、多くの名工が活躍しました。応挙が印籠の図案を手がけた意図としては、彼の革新的な写生表現を、絵画だけでなく装身具という身近な工芸品にも展開することで、新たな美意識を提示しようとした可能性が考えられます。また、パトロンである三井家が応挙の活動を支援していたことを鑑みると、三井家の注文に応じて制作された可能性も十分に考えられます。

技法や素材 この「竹図漆絵印籠」は、その名の通り「漆絵」の技法を用いて制作されています。印籠は通常、木製の素地に漆を塗り重ねて作られます。漆絵とは、日本古来の漆工芸技法の一つで、漆に顔料を混ぜて色漆を作り、それで直接絵を描く技法です。蒔絵が金や銀の粉を蒔きつけて文様を表すのに対し、漆絵は絵具のように漆を使い、筆で描くことで、より絵画的な表現を可能にしました。

「竹図」というモチーフは、日本画において古くから親しまれてきた画題であり、応挙も「雨竹風竹図」のような竹を描いた作品を残しています。印籠という限られた小空間の中に、応挙らしい写実性と、漆絵特有の深みのある色彩や質感で竹が描かれたものと推測されます。印籠は通常、複数の段に分かれた扁平な小型容器であり、紐通しの穴に緒締(おじめ)と根付(ねつけ)を通して帯に提げて使用されました。

意味合い 竹は、寒さに耐え一年中緑を保つことから、長寿や生命力、節操の象徴として、またその成長の速さから繁栄の吉祥文様として、日本の美術や工芸において古くから好んで描かれてきました。本作品の「竹図」も、こうした伝統的な意味合いを背景に持ちながら、応挙独自の写実的な視点によって描かれたことで、単なる象徴に留まらない、生き生きとした生命感が表現されていると考えられます。竹の図様は、所有者の品格や、未来への願いを込めたものとして、印籠の装飾に選ばれたと推察されます。

評価や影響 円山応挙の作品は、その写生に基づいたリアリティある表現が、当時の鑑賞者に「まるで眼前に実物が存在するかのような臨場感」を与え、「それまで見たこともないヴァーチャル・リアリティー」として京都画壇を席巻しました。この「竹図漆絵印籠」も、応挙の描く竹が、印籠という小さな世界に閉じ込められながらも、写実的かつ生命力あふれる姿で表現されているとすれば、当時の人々に新鮮な驚きと感動を与えたことでしょう。

応挙は絵画の分野で大きな影響を与え、多くの弟子を育て、円山派を形成しました。彼の写生画は、後の日本画の近代化に貢献したと評価されています。印籠のような工芸品においても、応挙が直接デザインを手がけた作品は、その革新的な画風が異なる素材や形式へと展開された例として、美術史的にも貴重な意味を持つと考えられます。応挙のデザインによる印籠は、当時の工芸界にも新たな美的潮流をもたらし、絵画と工芸の連携を示す重要な作品として、後世の美術工芸に影響を与えた可能性があります。