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鶴亀鹿蒔絵三組盃

下絵・円山応挙筆

三井記念美術館で開催中の「円山応挙―革新者から巨匠へ」展において、江戸時代に制作された「鶴亀鹿蒔絵三組盃」が展示されています。この作品は、日本絵画史に新たな潮流を生み出した円山応挙が下絵を手がけた、格式高い蒔絵の逸品です。

制作の背景・経緯・意図

「鶴亀鹿蒔絵三組盃」は、18世紀の江戸時代に制作された漆器で、その下絵を円山応挙が担当したと伝えられています。円山応挙は享保18年(1733年)に生まれ、近世日本絵画における写生を重視した画風を確立し、京都画壇を代表する革新者として活躍しました。彼は、対象を精密に観察し、その写実的な描写に伝統的な装飾性を融合させる独自の様式を創出しました。 応挙は、絵画制作のみならず、多岐にわたる芸術分野に関心を寄せ、豪商であった三井家をはじめとする有力な町人階級からの庇護を受けて多くの作品を手がけました。本作も、応挙の描く図様が当時の富裕層に広く受け入れられていた状況を示唆するもので、彼のデザインが絵画だけでなく工芸品にも応用された、絵師と蒔絵師による共同制作の好例と考えられます。江戸時代には、武士階級だけでなく町人階級にも経済的なゆとりを持つ人々が現れ、趣向を凝らした蒔絵を注文することが盛んになりました。この三組盃も、そうした時代背景の中で、特別な調度品として制作されたものと推測されます。

技法や素材

蒔絵は、漆器の表面に漆で文様を描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を蒔きつけて装飾する、日本独自の伝統的な漆芸技法です。江戸時代の蒔絵は、技巧面において頂点に達した時代と評されており、平蒔絵、高蒔絵、研出蒔絵といった多様な技法が用いられました。これらの技法は、漆を何度も重ねて文様を立体的に盛り上げる高蒔絵や、金属粉を蒔いた後に漆を塗って研ぎ出す研出蒔絵などがあり、豪華で奥行きのある表現を可能にしました。 「鶴亀鹿蒔絵三組盃」の具体的な技法については明記されていませんが、応挙が下絵を描いた格式ある作品であることから、天然漆と金、銀などの蒔絵粉を駆使した高度な技術が用いられていると考えられます。三枚の盃とそれらを収める台から構成される三組盃という形式も、当時の漆器制作における高い技術水準と洗練された美意識を物語っています。

作品が持つ意味

「鶴亀鹿蒔絵三組盃」に描かれている鶴、亀、鹿は、日本の伝統的な吉祥文様として古くから親しまれてきました。鶴は千年、亀は万年といわれるように長寿の象徴であり、夫婦円満の願いも込められています。鹿もまた、古くから神聖な動物として崇められ、吉祥の意味を持つとされています。 これらの縁起の良い動植物が三組盃に配されていることは、この作品が宴席や祝事などのハレの場で用いられ、長寿や繁栄、幸福を願う意味合いが込められていたことを示唆しています。漆器において、松竹梅と並び、鶴や亀は特に好まれる縁起の良い題材です。

評価や影響

円山応挙は、徹底した写生に基づきながらも、装飾性を兼ね備えた画風で、近世日本の絵画に革新をもたらしました。彼の確立した画法は「円山派」として後世に受け継がれ、日本画壇に大きな影響を与えています。 「鶴亀鹿蒔絵三組盃」は、応挙が直接筆を執った絵画作品とは異なり、彼のデザインが漆工芸品に転用された稀有な事例であり、応挙の芸術が絵画の枠を超えて多様な媒体に影響を与えたことを示しています。著名な絵師による下絵は、蒔絵作品の価値を一層高め、当時の文化交流や分業体制の一端を伝える貴重な資料です。本作が三井記念美術館のコレクションに収蔵され、今回の「円山応挙―革新者から巨匠へ」展で展示されることは、応挙の多様な活動と、その作品群が持つ芸術的・歴史的価値の高さを示すものといえるでしょう。