円山応挙
「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて展示される円山応挙の「華洛四季遊戯図巻(下巻)」は、江戸時代・18世紀に制作された二巻の絵巻物のうちの一巻であり、徳川美術館が所蔵しています。
本作品は、安永年間初頭である1772年から1773年頃に制作されたと推定されています。公家で国学者の高橋宗直が詞書を、左大臣・九条尚実が外題を揮毫しており、九条家から尾張徳川家へ贈られたものとされています。円満院門主・祐常が応挙初期のパトロンであったことから、本作品も祐常を通じて応挙に制作が依頼されたものと考えられています。
「華洛」とは花の都・京都を指し、本作品は京都の四季折々の風俗を主題としています。具体的には、上巻では春の嵐山の花見や夏の四条河原の納涼が、下巻では秋の盆踊りや冬の歳末の賑わいが描かれており、京都の庶民生活に馴染み深い情景が主題となっています。この作品は、晩年の大画面作品が多くを占める応挙の画業において、初期の精密な画風を示す基準作として重要な意味を持っています。応挙は、先行する絵巻の古典性を消化しつつ、自身の時代に相応しい新たな京の風俗描写を模索したとされています。
本作品は絹本著色で描かれています。円山応挙は自然観察を重視し、平明で親しみやすい写生的な表現を特徴としています。本図巻には、応挙の初期画業に見られる線描主体の岩皴の描法や落款印章の形式が確認できます。また、動きを含みながらも正確性を損なわない人体表現や、衣の文様に見られる細緻な描写など、高い再現性が特徴です。日常生活の何気ない場面を題材としながらも、ほのぼのとした情感が表されています。
「華洛四季遊戯図巻」は、京都の四季における庶民の暮らしを写し取ることで、当時の風俗や人々の生活感情を伝えています。美術史的には、応挙が比較的早い時期から摂関家をはじめとする公家社会に広く受け入れられていたことを示す作品であり、このことが後年の宮廷への接近の足掛かりとなった可能性が指摘されています。構図においては、平安末期の「年中行事絵巻」との類似点が見られ、応挙自身が高橋宗直の校注がある同絵巻の模本を所持していたことも分かっています。17世紀後半に制作された奈良絵本系の「十二月遊び絵巻」といった先行作品に倣いつつも、応挙は「京の市井を描く画家」として、自身の時代に合った新たな風俗描写を追求しました。写生に基づく応挙の絵は、当時の鑑賞者にとって、あたかも目前に迫る仮想現実のように感じられたと評されています。
本作品は重要美術品に指定されており、公家や大名社会における応挙初期の評価を高める役割を果たしました。さらに、本作品の下絵から派生した転写本が複数制作され、デトロイト美術館や東京国立博物館に所蔵されています。これらの転写本は、国学者や儒者といった知識人のサークル内で受容され、詩文が付されるなど新たな創造の源泉となりました。転写本を通じて、応挙の名声やその技法は市井にも広く享受されるようになり、後の円山派の興隆を支える基盤となったと考えられています。このように、「華洛四季遊戯図巻」は、応挙の初期画業を考察する上で欠かせない位置を占める作品であり、「京の市井を描く画家」としての応挙のイメージ形成にも寄与しました。