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写生帖(丁)

円山応挙

「円山応挙―革新者から巨匠へ」展において、円山応挙の真髄に触れる作品として、「写生帖(丁)」が展示されます。この作品は、江戸時代・18世紀に制作され、東京国立博物館が所蔵しています。

制作の背景と意図

円山応挙は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した絵師であり、特に「写生」を重視した画風で知られています。 当時、京都では博物学的な関心が高まり、実用的な側面からも写生図が流行していました。 応挙はこうした時代の潮流の中で、常に懐に写生帖を忍ばせ、暇さえあればスケッチに励んでいたと伝えられています。

「写生帖(丁)」のような写生図は、応挙が森羅万象を観察し、その姿を克明に記録するためのものとして制作されました。 これは、従来の絵画制作が手本(粉本)の模写に重きを置いていたのに対し、自身の目で対象を捉え、その本質を描き出すという革新的な姿勢を示しています。 応挙の前半生を支えたパトロンの一人、円満院門主祐常が博物図譜の編纂を計画していたことも、応挙が多数の写生図に取り組んだ背景にあると指摘されています。 これらの写生は、単に写実的な記録に留まらず、後の本画制作における構図や表現の基盤となりました。

技法と素材

「写生帖(丁)」は、紙本着色の折本(おりほん)として制作されています。 本作には、特に様々な鳥類が描かれており、その形状や色彩に関する詳細な記述も見られます。 これは、応挙が被写体をどのように捉え、観察していたかを知る上で貴重な資料です。

応挙の写生技法は、対象の質感までもが感じられるほどの精緻な描写力に特徴があります。 彼は、西洋画の遠近法を取り入れた眼鏡絵の制作に携わった経験や、中国の着色画、日本のやまと絵、琳派などからも多くを学び、自然観察に基づく精細な描写と装飾性を融合させた独自の様式を確立しました。 例えば、墨色の濃淡で立体感を表したり、背景に薄く金泥を刷いて雪を浮かび上がらせるなど、平易でありながらも洗練された表現が用いられています。

作品が持つ意味

「写生帖(丁)」をはじめとする応挙の写生図は、日本の絵画史において「写生の祖」と称される応挙の根幹をなすものです。 彼は、対象を科学的に観察する合理主義的な描法を追求しつつも、単に忠実に写実性を追求するだけでなく、森羅万象の「精神」を表現しようとしました。 想像上の動物である龍をまるで生きたもののように描き、場の空気感までも表現する能力は、写生を超えた応挙の芸術性の高さを示しています。

これらの写生帖は、応挙がどのように目の前の対象から本質を抽出し、それを自身の絵画表現へと昇華させていったかを物語る、いわば画家の思考の軌跡そのものであると言えます。

評価と影響

応挙の平明で親しみやすい写生的な表現は、瞬く間に京都画壇を席巻し、多くの人々の人気を博しました。 彼は、写生を重視する画風によって、近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖となり、その画風は弟子である長沢芦雪や呉春らに受け継がれ、「円山・四条派」として確立しました。 この流れは、現代の日本画壇にも大きな影響を与え続けています。

近年では、応挙の写生画が持つ多面性が再評価されており、彼の作品は単なる写実主義に留まらない、空間全体を構成するプロデューサーとしての側面も注目されています。 「円山応挙―革新者から巨匠へ」展は、この革新的な画家がどのようにして巨匠へと至ったのかを、重要な作品を通して深く探求する機会となるでしょう。