山口素絢
展覧会「円山応挙―革新者から巨匠へ」に出品される山口素絢の作品「幽霊図」についてご紹介します。
円山応挙とその門下、山口素絢 本作品の作者である山口素絢(やまぐちそけん)は、宝暦9年(1759年)に京都の呉服商の次男として生まれ、文政元年(1818年)に享年60歳で亡くなった江戸時代中後期に活躍した絵師です。素絢は円山応挙に絵を学び、「応門十哲」、すなわち円山応挙の門人の中で特に優れた10人の一人に数えられています。円山応挙を祖とする円山派は、江戸中期の京都において写生を重視し、現実的な感性に基づいた写実性と伝統的な装飾性を融合させた新しい様式を確立し、当時の画壇に大きな影響を与えました。山口素絢は、この円山派の画風を広めることに貢献し、「素絢画譜」などの画譜も刊行しています。
作品の背景と意図 江戸時代から明治時代にかけて、「幽霊画」は日本画や浮世絵における一つのジャンルとして描かれました。今日私たちが「足のない幽霊」として認識するイメージは、円山応挙が描いた「返魂香之図」がその元祖であると広く考えられています。この「足のない幽霊」の着想源は、中国の故事に登場する「反魂香(はんごんこう)」という香に由来するとされています。この香を焚くと、その煙の中に死者の姿が現れるという伝説があり、煙によって下半身が霞んで見えない描写が、後の幽霊のイメージに繋がったと言われています。
幽霊画が描かれた背景には、供養や魔除けといった目的があったとされています。一方で、江戸時代においては、珍しい幽霊画を店に飾ることで多くの客を呼び込み、商売繁盛に繋がる縁起物としても重宝され、一種のステータスシンボルでもありました。山口素絢の「幽霊図」も、こうした幽霊画の系譜に位置づけられる作品です。
技法と素材 山口素絢は、柔らかい筆致で優美な当世美人の姿を描くことを得意としていました。彼の作品は、当時の上方における風俗画を多く含んでおり、美人画だけでなく花鳥画においても優れた作品を残しています。本作品「幽霊図」は一幅の掛軸であり、江戸時代・18世紀から19世紀にかけて制作されたものとされます。詳細な技法や素材に関する具体的な記述は限られますが、円山派の画家として、写実的な描写を基盤としつつ、墨の濃淡で表現する「付立(つけたて)法」といった技法、また絹本著色など、当時の日本画で用いられる伝統的な絵具と絹または紙が使用されていると考えられます。
意味と評価・影響 山口素絢の「幽霊図」は、円山応挙によって確立された「足のない幽霊」の表現を受け継ぎつつ、彼自身の得意とする優美な美人画の要素が加味されている可能性があります。その描写は、単なる怪異の表現に留まらず、どこか儚げで感情を揺さぶるような美しさを伴っていたかもしれません。素絢は円山派の画風普及に努め、多くの画譜を出版したことから、彼の幽霊図もまた、同派の革新的な幽霊表現を広める一助となったと考えられます。彼の描く優美な女性像の延長線上に幽霊が描かれることで、幽霊画に新たな魅力を与え、当時の人々の間に幽霊に対する多様な認識を促したことでしょう。