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幽霊図

円山応挙

「円山応挙―革新者から巨匠へ」展で紹介される円山応挙の「幽霊図」は、日本の美術史において革新的な意味を持つ作品です。江戸時代に活躍した絵師、円山応挙によって描かれたこの一幅は、現代にまで続く「足のない幽霊」のイメージを確立したことでも知られています。

制作背景と経緯、そして意図

円山応挙は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した写生画の先駆者であり、「円山派」の祖と称されます。彼の「幽霊図」は、当時の伝統的な幽霊表現に一石を投じる形で生み出されました。

応挙の幽霊図の中には、「返魂香図(はんごうこうず)」という別名を持つ作品も存在します。この題名は、中国の故事である「反魂香」に由来しています。反魂香とは、香を焚くことで亡き人の生前の姿を現出させる術を指すものです。応挙の幽霊図には香炉や煙が直接描かれていませんが、これは鑑賞者が実際に香を焚くことを想定し、煙の中から人物が浮かび上がるかのような錯覚を追体験させる意図があったと推測されています。

この作品の制作経緯については諸説あります。例えば、京都や大阪、江戸で大規模な呉服商を営んでいた三井家の依頼により制作されたとされる作品(三井記念美術館所蔵)や、弘前藩家老の森岡主膳元徳が、相次いで亡くした妻と妾の供養のために応挙に描かせ、久渡寺に奉納した作品(久渡寺所蔵の「返魂香之図」)などが知られています。また、応挙が病床の娘の姿を写し取ったものが広まったという説や、妻の献身的な死によって幽霊の姿を悟ったという逸話も語られますが、これらは後世の創作である可能性が高いとされています。しかし、これらの逸話が示す通り、この幽霊図は単なる怪異の描写に留まらず、亡き人を偲び、供養する場としての深い意味合いも持ち合わせていたと考えられます。応挙は「目には見えないもの」や「感じるしかないもの」を写生を通じて表現しようとする「虚の写生」という概念を追求しており、幽霊図もその延長線上に位置づけられる作品と言えるでしょう。

技法と素材

「幽霊図」の大きな特徴は、応挙の写生を基盤とした画風にあります。彼は対象を詳細に観察し、その本質を描き出すことに注力しました。

技法面では、西洋の陰影法を取り入れている点が挙げられます。応挙は、物が落とす影は描かずに、物を立体的に見せる暗い部分の「陰」のみを巧みに用いることで、画面に奥行きと立体感を与えています。また、余白を効果的に用いた空間意識もこの作品の大きな特徴です。月にかかる雲のぼかしや、花や葉に施された金泥のたらし込みといった多様な様式も取り入れられ、作品に幻想的で儚い雰囲気を加えています。さらに、「四方睨み」と呼ばれる、どこから見ても鑑賞者と目が合うような技法を活かし、幽霊が持つ超自然的な存在感を高めたとも言われています。

作品は「1幅、江戸時代・18世紀」とありますが、応挙の多くの作品と同様に、紙本淡彩や絹本着色が用いられていると考えられます。繊細な筆致と淡い色彩によって、幽霊の透き通るような存在感が表現されています。

作品が持つ意味

応挙の「幽霊図」が持つ最も大きな意味は、「幽霊には足がない」というイメージを世の中に定着させたことです。それまで幽霊の姿は多様に描かれていましたが、応挙が描いた腰から下がスウッと消えているような表現は、幽霊がこの世とあの世の狭間に存在する、実体のない存在であるという認識を視覚的に確立しました。

この作品は、怖さ、儚さ、そして美しさという、幽霊画の三大要素を見事に表現していると評価されます。幽霊の姿は、単なる恐怖の対象としてだけでなく、どこか哀愁を帯びた美しさをも湛えており、鑑賞者に複雑な感情を呼び起こします。また、前述の「返魂香」の故事と結びつくことで、作品は単なる描写を超え、亡き人への追慕や、目に見えない存在への畏敬の念といった、より深い精神的な意味合いを持つに至っています。

評価と影響

円山応挙の「幽霊図」は、彼の数ある傑作の中でも特に名高い作品の一つとされています。応挙の優れた写生技術と、計算された余白の活用による空間意識が見事に融合した作品であり、近代絵画の幕開けを象徴する作品としても非常に高く評価されています。

この幽霊図が確立した「足のない幽霊」のイメージは、その後の日本の幽霊表現に絶大な影響を与えました。それまで定まっていなかった幽霊の姿に明確な視覚的定型を与え、現代に至るまで広く共有されることとなります。応挙が築いた「円山派」は、彼の写実的な描写力と革新的な画法を受け継ぎ、明治以降の近代日本画の発展にも大きな影響を及ぼしました。美術愛好家からも高い評価を受け続けており、その普遍的な魅力は、時代を超えて多くの人々を惹きつけてやみません。

円山応挙の「幽霊図」は、単なる絵画としてだけでなく、日本の文化や人々の死生観、怪異へのまなざしに深く刻み込まれた、極めて重要な芸術作品と言えるでしょう。