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藤花図屏風

円山応挙

「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて展示される円山応挙の重要文化財「藤花図屏風」は、江戸時代中期から後期にかけて京都画壇に革新をもたらした応挙の画業における壮年期の代表作であり、その写生画風の真髄を示す作品として位置づけられています。

制作背景・経緯・意図

円山応挙(1733-1795)は、写生を重視した独自の画風を確立し、近現代の京都画壇にまで続く円山派の祖となりました。応挙は明和期(1764-1772年)の30代半ば頃から写生に立脚した新しい作風を打ち出し、万物の姿をありのままに捉えながらも、装飾性を加えて写生と調和させることに力を注ぎました。本作品「藤花図屏風」は、応挙が44歳であった安永5年(1776年)に制作されました。この時期は、応挙が「雨竹風竹図屏風」などの名作を描いた、画家として最も脂の乗った時期とされています。 当時の絵画が理想化された表現を主流としていた中、応挙は身近な動植物や風景を観察し、まるで目の前に実物が存在するかのような臨場感とリアリティを提示しました。これはこれまでの絵画表現とは一線を画す革新的なものであり、その画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、多くの弟子を惹きつけ、円山四条派を形成するに至りました。この「藤花図屏風」においても、単なる写実にとどまらず、対象が持つ本質的な形象を捉え、それを再構成するという応挙の「写生」の思想が込められています。

技法や素材

本作品は、紙本金地着色の六曲一双の屏風絵で、各隻の寸法は縦156.0cm、横359.2cmです。総金地の画面に藤の花が描かれています。

技法においては、応挙の高度な表現技術が随所に見られます。

  • 幹や蔓の表現:藤の幹や蔓は「付立て(つけたて)」と呼ばれる技法で描かれています。これは下描きや輪郭線(骨法)を用いず、筆に濃淡の墨や絵具を含ませ、一気呵成に描くことで、対象の立体感や生命力、空間の奥行きを表現するものです。特に左隻の幹は、龍がうねるかのようなダイナミックな筆致で、迷いなく描かれていることが指摘されています。枝の重なり合う部分も、全体の構図が完璧に念頭に置かれて描かれていることがわかります。
  • 葉の表現:葉は、墨で下書きした上から緑色の絵具を重ねることで、薄らとした影が生じ、立体感が考慮されています。中央の葉脈を挟むように二つのストロークで描かれています。
  • 花房の表現:垂れ下がる藤の花房は、赤紫、群青、白の顔料を重ね合わせるという複雑な彩色が施されています。これは、遠くから見るとこれらの色が混じり合い、グラデーションのある薄紫色に見えるように計算されており、西洋の印象派における「筆触分割」にも似た効果を生み出しています。これにより、花房の複雑な色合いとボリューム感が実現されています。

意味

「藤花図屏風」は、応挙の写生画風の真骨頂を示す作品であり、徹底した写生を通じて体得した対象の本質を、巧みな墨法や高度な彩色技術、平明な装飾性によって融合させたものです。単に見たままを写す「写実」とは異なり、対象を観察しその本質を捉えた上で、応挙自身の解釈を加えて再構成している点が、この作品の写生が持つ意味とされています。

総金地の背景に描かれた藤の花は、重力に従って垂れる花房と、空間をくねりながら舞うかのような幹の対比によって、奥行きと動きが感じられるように構成されています。金地という平面的な素材が、花と幹の自由な表現を際立たせ、世界の断片である藤の花が、時を超えた普遍的な宇宙の中に位置づけられているかのような印象を与えます。これは松尾芭蕉の「不易流行」の概念、すなわち移り変わる現象の中に変わらない本質を見出すという精神性にも通じるものと解釈できます。

評価や影響

「藤花図屏風」は、その革新的な表現と高い技術力から、日本の重要文化財に指定されています。根津美術館の至宝の一つとされており、尾形光琳の「燕子花図屏風」と並び称されることもあります。光琳の作品がデザイン性を重視した絢爛豪華な趣であるのに対し、応挙の「藤花図屏風」は同じ金地の背景でありながらも、抑制された儚い美しさを持つと評されています。

応挙の写生に基づく画風は、当時の鑑賞者に、まるで目の前に実物が存在するような臨場感を与え、絵画表現に新たなリアリティをもたらしました。この革新性は瞬く間に京都画壇を席巻し、円山四条派という一大画派を形成する原動力となりました。本作品は、応挙の並外れた技量と、写生と装飾性の巧みな調和を示す傑作として、その後の日本絵画に多大な影響を与えました。