円山応挙
この度ご紹介いたしますのは、「円山応挙―革新者から巨匠へ」と題された展覧会に出品されている、円山応挙(まるやま おうきょ)の代表作の一つ《富士三保図屏風(ふじみほずびょうぶ)》です。本作品は、安永8年(1779年)に制作された六曲一双の屏風で、現在は千葉市美術館に所蔵されています。
制作背景と意図 円山応挙は、江戸時代中・後期の京都で活躍し、「円山派」の祖として知られる絵師です。 彼は、中国宋代から元代の画家・銭舜挙(せん しゅんきょ)に劣らぬ水準の絵を描こうとの意を込めて、明和3年(1766年)から「応挙」と名乗り始めました。 本作が制作された安永8年(1779年)は、応挙がすでに京都画壇の中心的な存在となり、多くの門人を抱え、その写生を重視した画風が絶大な人気を博していた「黄金期」にあたります。
《富士三保図屏風》は、日本の象徴である富士山と、景勝地として名高い三保の松原(みほのまつばら)を描いた作品です。この組み合わせは古くから日本の絵画において好んで描かれてきた画題であり、応挙が当代の巨匠として、日本の伝統的な美意識と自身の革新的な写生表現を融合させようとした意図が窺えます。左隻には「安永己亥初春写 応挙」の落款と印が記されており、新春に制作されたことがわかります。
技法と素材 本作は、紙本墨画淡彩(しほんぼくがたんさい)で描かれた六曲一双の屏風です。 応挙の画風の最大の特徴は、徹底した写生(実物写生)に基づくリアリティの追求にあります。彼は、西洋画の遠近法を取り入れた「眼鏡絵(めがねえ)」の制作に携わった経験から、深い奥行きのある空間表現を学びました。
《富士三保図屏風》においても、応挙は独自の技法を駆使して、対象の質感や空間の広がりを表現しています。例えば、輪郭線を用いずに墨の濃淡で立体感を出す「付立て(つけたて)」や、グラデーションでぼかしを表現する「片ぼかし(かたぼかし)」といった技法は、彼の写生画を支える超絶的なテクニックとして知られています。 淡い色彩が施されることで、墨一色の世界に豊かな表情が加わり、見る者に富士と三保の情景を鮮やかに想起させます。
作品が持つ意味 《富士三保図屏風》は、単なる写実的な風景描写に留まらない、応挙ならではの「気配」までをも写し取ろうとする姿勢が感じられます。応挙の作品は、当時の鑑賞者に、まるで眼前に実物が存在するかのような臨場感を与えたと評されています。 彼は、対象の見た目を正確に捉えるだけでなく、その本質や生命感を画面に定着させようと試みました。
富士山が持つ荘厳さや神聖さ、そして三保の松原の穏やかながらも広大な自然の営みが、応挙独自の写生表現によって、深い精神性と結びついて描かれています。これは、自然の美しさに対する日本人の伝統的な感覚と、応挙が追求した革新的なリアリズムが融合した、新たな風景画の解釈と言えるでしょう。
評価と影響 円山応挙の画風は、当時の京都画壇に革命をもたらしました。 彼の写生画は、それまでの形式化された絵画表現とは一線を画すリアリティを提示し、瞬く間に京都を席巻しました。 応挙は生前から絶大な人気を誇り、同時代の画家である伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)よりも高い評価を受けることもありました。
《富士三保図屏風》のような作品を通じて確立された応挙の様式は、「円山派」として多くの弟子たちに受け継がれ、呉春(ごしゅん)や長沢芦雪(ながさわ ろせつ)といった個性豊かな画家たちが育ちました。 彼らの活動は後の「円山四条派」へと発展し、近代日本画の基礎を築くことになります。 応挙の作品は、見る者に「仮想現実」のような迫真の表現を提供し、日本の絵画史に大きな転換点をもたらしたのです。