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弓張月図

円山応挙

円山応挙の作品「弓張月図」は、天明元年(1781年)に制作された2幅の作品です。この作品は、三井記念美術館で開催される「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて紹介されています。

制作背景と意図 円山応挙(1733-1795)は、江戸時代中期から後期にかけて京都画壇で活躍した絵師であり、「円山派」の祖として知られています。応挙は「写生」を重視した画風を特色とし、当時の鑑賞者にとって、それまで見たことのない「バーチャル・リアリティー」のように迫る絵画を生み出しました。その画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、多くの弟子を輩出しました。

応挙は若い頃、西洋画の遠近法を取り入れた「眼鏡絵」の制作に携わり、奥行き表現に関心を持ち、空間表現の技法を学びました。また、中国画の写生技術も研究し、日本の伝統的な装飾画法と写生を融合させた独自の画風を確立しました。彼の作品は、写実的でありながらも、時に装飾性豊かな画面を構成しています.

「弓張月図」が制作された天明元年(1781年)は、応挙が40代に入り、画家として最も充実した「黄金期」を迎えていた時期にあたります。この時期の応挙は、祐常(円満院門主)をパトロンとするなど、多くの支援を得ていました。彼の作品には、動物や植物、人物など、幅広い主題が描かれ、特に子どもの動物が遊ぶ様子は人気を博しました。

技法と素材 応挙の画風は、写生に基づく卓越した観察力と描写力、そして多様な技法に支えられています。彼は輪郭線を描かずに墨の濃淡で直接描く「付立(つけたて)」や、片方をぼかす「片隈(かたくま)」といった速写描法も用いました。また、西洋の陰影法も学び、物を立体的に見せる「陰」を巧みに用いて立体感を表現しました。

「弓張月図」の具体的な素材や技法に関する詳細な情報は現在のところ見当たりませんが、この時期の応挙作品に共通する特徴として、墨の濃淡や色彩の繊細な表現、そして対象を写実的に捉える写生に基づいた描写が考えられます。また、2幅の掛軸であることから、絹本または紙本に描かれたものと推測されます。

意味と評価 「弓張月図」の具体的な主題や意味合いについては、現時点での詳細な言及はありませんが、「弓張月」という言葉は、半月や三日月を指し、その幻想的な情景や、時間の移ろい、あるいは詩的な情感を表現する題材として用いられることがあります。応挙の作品には、自然の情景を写実的に捉えつつも、そこに詩情や精神性を吹き込むものが多く見られます。

応挙は、当時の京都画壇において「革新者」であり「巨匠」と評価されました。彼の写生に基づく新しい画風は、従来の絵画とは異なる「ヴァーチャル・リアリティー」を鑑賞者に提供し、画壇に大きな影響を与えました。その画法は「円山四条派」として近現代の日本画壇にまで受け継がれており、現代の私たちには「見慣れた日本画」の源流ともなっています。

「弓張月図」もまた、応挙の充実期に制作された作品として、彼の写生眼と表現力が存分に発揮されたものと評価されるでしょう。