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布袋図

円山応挙

円山応挙「布袋図」―革新と伝統が織りなす巨匠の筆致

現在開催中の「円山応挙―革新者から巨匠へ」展では、江戸時代中期の画家、円山応挙(まるやまおうきょ)による作品「布袋図(ほていず)」が展示されています。この作品は天明5年(1785年)に制作され、現在は東京黎明アートルームが所蔵する一幅です。応挙が革新者から巨匠へと歩んだ軌跡の中で、どのようにこの作品が生まれ、どのような意味を持つのかをご紹介します。

制作背景・経緯・意図 円山応挙は1733年に丹波国(現在の京都府)に農家の次男として生まれ、10代後半に京都で狩野派の石田幽汀(いしだゆうてい)に師事しました。彼は絵画の修行と並行して玩具商に勤め、そこで西洋画の遠近法を用いた眼鏡絵(めがねえ)に感銘を受け、京都の風景を眼鏡絵で制作しています。この経験を通じて、応挙は中国画の写生技術を研究し、伝統的な日本の装飾画法と写生を融合させた独自の画風を確立しました。これが後に「円山派」として日本画壇に大きな影響を与えることになります。 「布袋図」が制作された天明5年(1785年)は、応挙がすでに画家として不動の地位を築き、多くの寺社や大名からの注文を受けていた時期にあたります。この作品は、徹底した写実に基づきながらも、禅画の伝統的な主題である布袋和尚(ほていおしょう)を描くことで、写生と精神性の融合を試みたものと推察されます。

技法や素材 円山応挙の画風は、徹底した写生に基づく写実性と、西洋画に通じる遠近法の活用が特徴です。精緻な線と色彩で対象を描きつつ、柔らかな筆使いで見る者を魅了すると評価されています。彼の絵画技法は、墨を用いた地下地技法を基礎とし、その上に裏彩色技法、染料系絵具、金属泥などの技法を組み合わせることで、色彩の階調を広げ、重層的で複雑な表情を作り出し、写実的な写生画を可能にしました。 「布袋図」は、一幅の掛軸として制作されており、おそらく紙本墨画(しほんぼくが)を主とした素材が用いられていると考えられます。布袋の姿は、簡略な筆致の中に鋭い禅の機縁を表す当時流行していた表現を取り入れつつも、応挙らしい写実的な描写が加えられている可能性があります。

作品の意味 布袋は、中国唐末に実在したとされる伝説的な仏僧で、大きな袋を背負い、太鼓腹の姿で描かれることが多く、未来の救世主である弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身として禅宗で信仰を集めました。日本では七福神の一柱としても親しまれています。 この「布袋図」では、布袋が袋に座り腹を出して笑う姿で表現されています。一般的に水墨画の布袋図は無背景が多い中で、特定の背景を持つ構図が珍しい場合もありますが、応挙の作品がどのような情景を描いているかは、実際の作品で詳細を確認する必要があります。しかし、布袋の姿自体が持つ、おおらかさや福々しさ、そして禅の精神性といった意味合いが込められていると考えられます。

評価や影響 円山応挙は、江戸時代後期に京都で最も人気を誇った画家の一人であり、その独特の画風と作品のインパクトの高さから、現代においても江戸時代を代表する画家として高く評価されています。彼の確立した写生と伝統的装飾画を融合させた技法は「円山派」として後世に受け継がれ、日本画界に多大な影響を与えました。 応挙の作品は、特別な教養がなくとも素直に味わうことができる「写生」をキーワードとしつつも、人間の視覚に「見たまま」だと感じさせる巧妙な工夫が凝らされていました。その革新性と表現力は、同時代の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と比較されることもあり、生きている間も没後も、その市場価値は高い評価を得ていました。応挙の作品は美術の教科書でも紹介され、多くの人々に愛され続けています。 「円山応挙―革新者から巨匠へ」展において「布袋図」が展示されることは、応挙が単なる写実画家ではなく、伝統的な主題を独自の視点と技法で再解釈し、新たな表現を追求した巨匠としての側面を示すものです。