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大石良雄図

円山応挙

円山応挙による「大石良雄図」:革新的な写実表現が物語る忠義の世界

円山応挙の描いた「大石良雄図」は、明和4年(1767年)、応挙35歳の時に制作された作品です。この絵画は、18世紀の京都画壇において「革新者」として知られた応挙の、写生に基づく独自の表現を示す一例として注目されます。

制作の背景と意図

本作が制作された当時、円山応挙は滋賀県大津市の円満院祐常門主の保護を受けており、本作品も同院に伝来したとされています。題材となっているのは、人形浄瑠璃や歌舞伎で広く人気を博した「仮名手本忠臣蔵」などの忠臣蔵物語の一場面です。中心人物として描かれる大石良雄(内蔵助)は、播州赤穂藩の筆頭家老であり、その主君への忠義を貫いた行動は江戸時代の人々に深く共感されました。応挙は、この国民的英雄をほぼ等身大で描くことで、当時の鑑賞者にとって、あたかも現実の人物が目の前に現れたかのような強い臨場感と感動を与えることを意図したと考えられます。この「等身大」での人物表現は、江戸時代の人物画としては非常に珍しく、応挙の革新性を示すものとして評価されています。

技法と素材

「大石良雄図」は、絹本に色彩を用いて描かれた一幅の絵画です。縦189.3センチメートル、横133.6センチメートルという大画面に、大石良雄と見られる男、手紙を持つ女、そして野郎帽子をかぶった文使いの少年の三人が描かれています。 落款には「丁亥夏日 応挙写」と記され、「応挙之印」と「仲選」の印が押されています。 応挙の画風の根幹をなすのは「写生」であり、目の前にあるものをありのままに捉え、その本質を写し取ることにありました。この作品においても、人物の表情や仕草、衣の質感に至るまで、写実的な描写が貫かれています。

作品が持つ意味

本作品は、「忠臣蔵」という物語が持つ忠義や武士道の精神性を、応挙独自の写実主義を通して視覚化したものです。単なる物語の挿絵に留まらず、人物の内面や状況のドラマ性を、鑑賞者が直接感じ取れるように表現されています。大画面に等身大に近い人物を描くことで、鑑賞者は物語の世界に引き込まれ、登場人物たちの感情や決意をより深く理解し、共感することができたでしょう。

評価と影響

円山応挙は、18世紀の京都画壇において「革新者」と呼ばれ、その写生に基づく画風は当時の鑑賞者にとって「仮想現実」のように新鮮に映りました。 応挙の画風は瞬く間に京都画壇を席巻し、多くの弟子を輩出して円山四条派という一大流派を形成しました。 「大石良雄図」は、応挙の多様な人物表現を示す代表作の一つとして挙げられます。 応挙の弟子である源琦(げんき)が、本作品に基づいて「大石良雄図」を描いたとされており、応挙のこの作品が当時の画壇において模範とされ、後進に影響を与えたことがうかがえます。 「円山応挙―革新者から巨匠へ」と題された今回の展示会においても、応挙が「革新者」から「巨匠」へと変貌していく過程を伝える重要な作品の一つとして紹介されており、その歴史的、芸術的価値は高く評価されています。