円山応挙
2025年9月26日から三井記念美術館で開催される特別展「円山応挙―革新者から巨匠へ」において、円山応挙の晩年の傑作の一つ、「福禄寿・天保九如図」(三幅、寛政2年(1790))が展示されます。この作品は、応挙が確立した写生画の真髄と、伝統的な吉祥画題が融合した稀有な一例として注目されます。
「福禄寿・天保九如図」は、寛政2年(1790年)に制作されました。この時期は応挙が60歳に差し掛かる頃にあたり、その画業が最も円熟期を迎えていた晩年にあたります。作品名にある「福禄寿」は、七福神にも数えられる、幸福・俸禄(財産)・長寿を司る三神を指します。一方、「天保九如(てんぽうきゅうじょ)」は、中国の古典『詩経』の「天保」の篇に由来する吉祥画題です。この詩は天子の長寿を祈るもので、山、阜(おか)、岡、陵(みささぎ)、川、月、日、南山、松柏という九つの要素が描かれた理想的な山水図として表現され、「如く」という字が九箇所に使われることから「九如」と呼ばれます。
本作は、これらの吉祥的な意味合いを重ね合わせることで、鑑賞者への幸福、富、そして長寿を願う、極めて祝儀性の高い作品として制作されたと考えられます。円山応挙が「革新者」から「巨匠」へと変貌を遂げた時期の作品であり、その画風の到達点を示すものと言えるでしょう。
円山応挙の画風は、徹底した写生に基づく写実性と、伝統的な装飾画技法の融合に特徴があります。彼は常に写生帖を携帯し、動物や植物などを客観的に描写する訓練を積んでいました。また、眼鏡絵の制作を通じて西洋画の遠近法や陰影表現を学び、これを自身の絵画に取り入れ、当時の人々にとって「ヴァーチャル・リアリティー」のような迫真性のある表現を生み出しました。
「福禄寿・天保九如図」が三幅対であることから、絹本または紙本に着色、あるいは水墨を基調とした作品と推測されます。福禄寿の人物描写においては、その柔らかな表情や衣の質感、九如図の山水描写においては、奥行きのある空間表現や自然物の質感描写に、応挙ならではの写実的な筆致と、伝統的な水墨画や大和絵の装飾性が巧みに融合されていると見られます。特に、墨の濃淡やたらし込みといった日本画の伝統技法と、西洋的な光の表現や立体感の意識が組み合わされている可能性が高いです。
本作品は、その画題から、長寿、幸福、繁栄といったポジティブな意味合いを強く持っています。「福禄寿」が示す個人的な幸福と長寿への願いに加え、「天保九如」が示す国家や社会全体の安寧と永続への祈りが込められていると解釈できます。こうした吉祥画は、江戸時代において、個人宅の床の間を飾るだけでなく、祝い事の贈答品としても重宝されました。応挙が晩年にこのテーマを選んだことは、その名声が広まり、社会的に重きをなす立場となった中で、人々の普遍的な願いに応えようとする姿勢がうかがえます。
「福禄寿・天保九如図」は、三井記念美術館に所蔵され、応挙の代表的な展覧会で紹介されることからも、その美術的価値は高く評価されています。円山応挙は、18世紀の京都画壇において「写生」を重視する画風で一世を風靡し、多くの弟子を育て、近代の京都画壇にまで続く「円山四条派」の祖となりました。彼の革新的な表現は、当時の鑑賞者に強いインパクトを与え、その影響は後世の日本画家に多大なものをもたらしました。
「福禄寿・天保九如図」は、応挙が単なる写実主義に終わらず、吉祥画という伝統的な題材においてもその卓越した描写力と構成力、そして深い精神性を発揮したことを示す重要な作品として、今後もその価値が再認識されることでしょう。