円山応挙
「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて紹介される、円山応挙の作品「寿老人・竹に鶴図」について解説します。本作品は天明5年(1785年)に制作された三幅対の作品です。
円山応挙は、江戸時代中期から後期にかけて京都で活躍した絵師であり、日本絵画に革新をもたらした人物です。特に徹底した写生に基づく写実表現と、西洋画の遠近法や光と影の表現を巧みに取り入れた画風が特徴です。 天明5年(1785年)は応挙が53歳にあたる時期で、既に円山派の祖として揺るぎない地位を確立し、多くの寺社や大名、豪商からの注文を受けていた時期に当たります。この頃、応挙は紀州草堂寺の障壁画を手がけるなど、精力的に制作活動を行っていました。 「寿老人・竹に鶴図」は、寿老人、竹、鶴という吉祥のモチーフを組み合わせた作品であり、長寿や繁栄、幸福を願う意味合いが込められています。このような画題は、当時の富裕な町人層や有力者からの慶事の依頼に応える形で描かれることが多く、応挙の幅広い顧客層に応じた制作活動の一環であったと考えられます。鑑賞者に福徳と長寿をもたらすことを意図した、祝儀性の高い作品と言えるでしょう。
応挙の画風は、精緻な写生を基盤としつつ、伝統的な日本画の装飾性と西洋画の空間表現を融合させた点に大きな特徴があります。本作品においても、その写実的な描写力と、モチーフが持つ象徴的な意味を際立たせる構成が見られます。 具体的な技法としては、墨の濃淡を駆使して立体感や奥行きを表現する水墨技法が用いられたと推測されます。また、輪郭線を用いずに描く「付立て」や、柔らかく優美な筆使いも応挙の特徴とされており、これにより寿老人や竹、鶴の生命感が生き生きと表現されている可能性があります。素材は「3幅」とあることから、紙本または絹本に描かれた掛軸であったと考えられます。応挙は、色彩の階調を広げ、複雑な表情を作り出すために、「墨地下地技法」を基礎として「裏彩色技法」や「染料系絵具表現」、「金属泥表現」などを組み合わせていたことが、他の作品の研究から明らかになっています。
本作品に描かれる「寿老人」は、中国の道教に由来する仙人で、日本の七福神の一員としても知られる長寿の象徴です。長い頭と白い髭を持ち、寿命を記した巻物を吊るした杖を持つ姿で描かれることが一般的です。 「竹」は、一年を通じて葉を茂らせ、しなやかでありながら折れないことから、生命力、長寿、節操の象徴とされます。また、「鶴」は「千年」とも言われるように長寿の瑞鳥であり、夫婦仲が良いことから夫婦円満の象徴としても尊ばれます。さらに、吉祥を意味する鳥として古くから日本画に好んで描かれてきました。 これら寿老人、竹、鶴という吉祥のモチーフが組み合わされることで、作品全体として、長寿、繁栄、夫婦円満、そしてあらゆる幸福を願う非常に縁起の良い意味合いが込められています。
円山応挙は、その写実性と革新的な画風によって、江戸時代の京都画壇を大きく変える原動力となりました。彼の確立した「円山派」は、写生を重視しながらも、平明で親しみやすい画風で、瞬く間に京都画壇を席巻し、多くの弟子を輩出しました。呉春や長沢芦雪といった著名な弟子たちは、応挙の画風を継承しつつ独自の展開を見せ、「円山四条派」として現代まで続く京都画壇の源流となっています。 応挙の作品は、その卓越した画技と臨場感あふれる表現により、当時の鑑賞者にとって「これまでに見たこともないヴァーチャル・リアリティーのように、眼前に迫ってきた」と評されています。本作品「寿老人・竹に鶴図」も、こうした応挙の革新的な写実表現と吉祥を願う主題が融合した作品として、当時の人々に大きな感銘を与え、後の日本画の発展に影響を与えたと考えられます。現在も応挙の作品は高い評価を受け、日本美術史において重要な位置を占めています。