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水仙図

円山応挙

円山応挙《水仙図》にみる革新者の眼差し

本作品は、江戸時代中期から後期にかけて活躍し、京都画壇に革新をもたらした絵師、円山応挙が天明3年(1783年)に制作した「水仙図」です。一幅の絹本着色として、縦30.9センチメートル、横53.6センチメートルの画面に描かれ、現在は三井記念美術館に所蔵されています。この作品は、円山応挙の画業を「革新者から巨匠へ」と辿る展示会において、彼の写実的な表現の一端を示すものとして紹介されています。

制作背景と意図 円山応挙は、享保18年(1733年)に丹波国(現在の京都府亀岡市)に生まれ、狩野派の流れを汲む石田幽汀に師事しました。若き日には、西洋の遠近法を応用した「眼鏡絵」の制作にも携わり、その経験を通じて空間表現や立体感の描写に深い関心を抱きました。明和3年(1766年)に「応挙」の号を名乗り始めて以降、彼は徹底した写生に基づく独自の画風を確立していきます。

本作品「水仙図」が制作された天明3年(1783年)は、応挙が画家としての地位を不動のものとし、「円山派」の祖として多くの弟子を擁する円熟期にあたります。作品には「恭写時花一幀莫 一成律老直右 天明癸卯仲冬応挙拝」という落款があり、この絵が天明癸卯の仲冬(旧暦11月、現在の12月頃)に、当時の季節の花である水仙を恭しく写し、一成律老に贈られた、あるいはその依頼によって制作された可能性を示唆しています。写生を重視する応挙にとって、水仙という自然のモチーフをありのままに捉え、その生命力を画面に定着させることは、彼の画業の根幹をなすものであったと考えられます。

技法と素材 本作品は絹本に彩色が施された絹本着色画です。応挙の画風の最大の特徴は、対象を詳細に観察し、その特徴を写実的に捉える「写生」に基づいています。彼は単なる模写に留まらず、写生によって得た知見を基に、独自の解釈と表現を加えて作品を構築しました。西洋画の遠近法や陰影表現を取り入れつつも、日本の伝統的な装飾性を融合させることで、見る者がまるで実物を見るかのような臨場感を覚える絵画を生み出しました。

「水仙図」においても、水仙の葉のしなやかな曲線、花弁の繊細な質感、そしてそれらが織りなす空間の奥行きが、墨の濃淡と淡い色彩によって巧みに表現されていると推測されます。応挙は光と影の表現にも長けており、対象そのものから発せられるような光沢や立体感を、限られた色彩の中で実現しました。

作品の意味と評価・影響 水仙は、寒さの中に咲くことから、清らかさや生命力、そして新たな始まりを象徴する花として、古くから日本文化において愛されてきました。応挙がこの水仙図に込めた意味も、写生によって捉えた自然の美しさそのものを尊び、鑑賞者にその清澄な姿を提示することにあったと考えられます。

円山応挙の画風は、当時の京都画壇において「革新者」として絶大な人気を博しました。彼の絵は、当時の人々にとって、まるで「バーチャル・リアリティー」のように眼前に迫る、これまでにない視覚体験を提供しました。写実性と遠近法を駆使した応挙の絵画は、瞬く間に京都画壇を席巻し、多くの弟子たちが彼のもとに集まり、近現代まで続く「円山四条派」を形成するに至りました。

「水仙図」もまた、応挙の代表的な作品群の一つとして、彼の写生に対する真摯な姿勢と、それを絵画として昇華させる卓越した技術を示すものであり、その後の日本画の写実表現に多大な影響を与えた作品であると言えるでしょう。